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2016-12-30 02:00:00

長野県にお住まいの綿貫彩さんのFacebookの2016/3/2付「小学校~中学校時代のこと。」というご自身の体験談が、私自身も勉強になりましたし、多くの方に読んで欲しいと思いました。

 

転載の許可をいただきましたので、紹介させていただきます。

  

綿貫彩さんのFacebookより.jpg

  

小学校~中学時代のこと。

 

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親や先生は、私の聞こえに対して「会話が出来るなら大丈夫」「家では全く困っていません」と話していたそうだ。学校生活においても「聞こえているから、特別な配慮は必要ない」としていた。

 

小学校・中学校で、私に与えられていた『サポート』は下記の通り。

 


■一番前の席に座る

■聞こえなかった言葉があったら、先生に訊き返す

■音読や教科書を読んだりしているときは、隣の席の子が教科書を指で指す

■発言・意見を言う時はFM補聴器付属のマイクを持つ(中学~)

 

しかし、先生や親の認識とは裏腹に、学校生活においてこのようにいくつかのサポートが付いていたにも関わらず、実際には学校生活についてで書いたように、私は学校生活のなかでたくさんの壁にぶつかっていた。

 

なぜ、このようなことが起こるのか

 

何度か書いたが、私は自分の聞こえを理解していなかった。

 

周囲の大人から「困ったことはある?」「きこえないことはない?」と訊かれても、「音が聞こえる」=「聞こえている」と思っていた私は、「大丈夫」「困っていない」としか言いようがなかった。それを聞いて先生も親も、こちらの言う事は理解できているし、本人が「大丈夫」というのならその通りなのだろう―と思っていたようだ。

 

「音は聞こえているのに言葉を理解することができない」ということを、小学生中学生だった私は、どう説明したらいいのかわからなかったのだ。

 

それに関してはエピソードがある。

 

教室での授業は読書や落書きで自分の世界に入り浸り、体育では自分勝手な行動と取られても仕方ないことをして注意ばかり受けている私に「なぜこんなことをするのか」と訊いてきた先生がいた。

 

「授業が聞こえないから」と答えると、「先生の言っていることはわかるか?」と訊く。質問の意図がつかめない、不思議な気分で「わかります」と言うと「聞こえてるじゃないか!それはね、もっと頑張って聞いてやっていかないと」と言われたことがあった。

 

母に「きこえなくてみんなと同時に○○が出来なかったんだ」と言うと「みんなは聞こえてるのに、あなただけ聞こえないのはおかしいよね。努力がたりないね」と言われたこともある。

私はそれらの言葉に対し、納得するしかなかった。

 

「自分の努力が足りないんだ」

 

「こんなに頑張っても、理解が出来ない自分はダメな人間なんだ」

 

失敗を重ねていくたびに、自己肯定感が失われていった。

 

中軽度難聴児を地域の学校に通わせるにあたり、同様のケースはよく耳にする。周囲の大人も、聴覚障害児本人も「聞こえている」と思っているのだ。しかし、実際には「聞こえていない」。その様子は、集団生活に溶け込めない・授業に対する理解力が上がらない・忘れ物をよくするなどという、目に見える形で顕著に表れる。

 

このことで、誰が一番困るのか。

 

―他の誰でもない聴覚障害児本人である。にもかかわらず、学校生活における失敗・学力低下は「本人の努力が足りない」とみられ、大人も本人も「本人が・僕が頑張るしかないよね」という結論にたどりついてしまう。

 

私の経験したのは、まさにそういうことだったのではないかと、大人になって思う。

 

友人関係については、一対一ならまだましも、複数人であつまって遊ぶという場面では、とにかくコミュニケーションが難しかった。

 

とくに、小学校・中学校では全く聞こえない左側、あるいは背後から声をかけたが反応しなかった私に対し「あやちゃんが無視する」と先生に話し、私はそれについて先生から注意を受けるということもあった。私が遊びに入ろうとすると「やっぱりやめた」と解散してしまうことが何度もあった。

 

先ほど書いたように他の子とはズレた行動をすることが多かったので、「あいつはちょっと変わった子」として見られていたと思う。

 

先に私に与えられた「サポート」を書きだしたが、それらは主に教室内のみで行われており、体育・音楽・社会見学・校長講話・芸術鑑賞・児童生徒総会・委員会の場では行われなかった。当然その場で話されている内容・セリフなど、全く解るはずもない。

 

そういった事もあり、聞こえる子であれば学校生活を他の児童生徒と同じように経験し、感情を共有していくはずが、わたしはますます遠ざかっていってしまった。

 

このレポートを書くにあたって、依頼してくださった支援者の方に頂いた質問の中に「周囲の人に『私はきこえない』と言えなかったのはなぜか?」というものがあった。

 

「言えなかった」のではない。

 

私は小学校時代、幾度となく先生や母親に対し「きこえなかった」「きこえない」「わからない」と言っていた。

周りの大人や同級生は信じてくれなかった。

 

本当に聞こえていないという事に気づいてくれなかった。

 

「キミは他の子よりもたくさん努力して、ようやく人と同じスタートラインに立つことができる」と、先生から事のあるごとに言われていた。

 

私は、「わたしは耳がきこえない」と話す事を許されない環境に置かれていたのかもしれない。

 

■自分で工夫したこと

 

「もう一度繰り返してください」

 

授業中や学級活動中、聞き取れなかった部分があったら先生、またはクラスメイトに対し「もう一度言ってください」と言って、繰り返し話してもらっていた。その都度、授業や学級活動の「時間」が止まり、教室は私と話者だけの世界に包まれた。不思議なことで、その時は「書いてくださいと言う」という考えがなかった。

 

わかるまで、何度も何度も繰り返し話者に訊いた。

 

クラスメイトの発言や委員会の連絡の時は、「もう一度言ってください」「もう一度言ってください」と、クラスメイトの話者の子を立たせたまま繰り返し訊いていたため、とうとうその子が泣き出してしまったという事があった。「もう止めなさい」と先生に止められて、結局話は解らずじまいの時もあった。

 

私も「自分が情報を得る大切な手段」として「もう一度言ってください」と言っていたし、周りの大人からもそういう風に「解るまで訊きなさい」と言われていたので、泣かれた時と先生に止められた時は腑に落ちなかったのを覚えている。

 

「もう一度言ってください」と何度も何度も言っても、話している内容が全く理解できない時はイライラしたし、とても疲れた。先生には言い続けていたが、児童生徒に対してはわからなくても言わないようにする方がいいのだろう、と学習した。

 

板書をただノートに写す

 

黒板に書かれていた文字をノートに書き写していた。(国語・社会) 板書を写すのみで、勉強を理解できていたのかというと、そんなことはなかった。板書をノートに書いている=勉強しているというイメージでやっていた。 先生に授業中あてられることが無いように、下を向いてノートに鉛筆を走らせる振りをしていた。

みんながどんな雰囲気なのか、知ることも出来なかった。

 

教科書を読む順番

 

国語を中心に、一人ひとりが音読や教科書に書いてある内容を立って読むときは、先生が「出席番号順」「座席の順番」「一段落ずつ」「○ページまで」というのをとにかく集中して聞き取り、読む人の顔を確認し、顔をしっかりと見ると不審に思われるので、口の形・肩が上下するのを見て、他の子の読み始め・読み終わりを確認しながら、自分が読む番を待っていた。

 

「授業なんかもういいわ」

 

話の内容も勉強の内容も理解できない授業は、もう自分には関係ないとしてその時間は漢字検定の勉強をしたり、英単語を暗記、または社会の問題集を暗記したりしていた。(主に社会・実験の無いときに限り理科) 中学3年生のとき、これではいけないと気が付き授業が終わった後に教科の先生のところへ行き質問するように心がけた。

ただ、質問しに職員室の先生のところに行ったのは良いが、まず一番に授業中どんなことをしたのかということから訊かないといけないほど、自分はどこが理解できていなかったのかもわからなかった。そのため思うように勉強が進まなかった。(数学・理科)

 

音楽※合唱・合奏

 

口を適当にパクパクさせて歌っている振り・楽器を演奏している振り(太鼓だったらバチを太鼓の音が出ないように上下に振る・リコーダーは吹かないで指で穴を適当にふさいだり) 近くの同級生の背中の上がり下がりをヒントに太鼓をたたく真似をしたり、見ないふりをしながら視界に入る手の動きをヒントにリコーダーの指を操ったりしていた。とにかく、みんなと同じように見える、ということを徹底して心がけていた。

 

体育※ルールのあるスポーツ

 

さまざまなスポーツのルールが書いてある体育の教科書を、あらかじめ何度も何度も読んだ。その競技専門の用語があり理解できなかったので、実際は意味があまり無かったが、とにかく教科書を読んでルール・反則を覚えようとしていた。

 

いくつかあげたが、大人になった今見返すと全くもって意味のない工夫だったな、と思う。

 

「間違いを犯さないように」「怒られないように」「へんな目で見られることのないように」と、自分の聞こえなさを見た目でカモフラージュしよう、それだけを考えてやっていた。

 

もっとしっかりと、先生や周りの同級生に質問して、きちんと授業の内容や学級活動について確認・理解していく必要があった。

しかし、いざ質問したところで「なぜいまさら」「なぜこんなこと解らないのか」と思われ軽蔑され馬鹿にされると思いこんでいたため、出来なかった。

 

「きこえない」と言えなかった分、「きこえている振り」をしなければいけないと思っていた。その上での「工夫」であった。

 

私がやってきた工夫。これは反面教師として、絶対やってはいけない悪い例として捉えていただきたい。

 

学校生活を普通の子どもとしてカモフラージュ出来るが、実際学力も上がったためしがないし、授業を聞いて理解する権利を放棄してまで暗記した英単語も問題集も大人になった今では全く頭に入っていない。

 

それなのに、この「工夫」の中には努力がたくさん見えてくる。

私は親からも先生からも「みんなと同じになるよう努力しろ」と言われていたが、こんな形の努力は、はたして将来のためになるだろうか。

 

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綿貫彩さん、貴重なお話をありがとうございました。

 

2015-12-31 05:00:00

手話を身近に  手話カレンダーを作製しました.jpg

 

手話秋田普及センターは平成27年8月28日、「手話がどこでも見られる社会」を目指して設立した一般社団法人です。

 

手話の普及のための主要事業として、医療機関向けの手話カレンダーを企画・デザインしました。手話を知らない多くの方々に興味を持っていただけるよう、秋田県立聾学校情報デザイン科と共同で作製した手話カレンダーを秋田市内の医療機関に無料配布することにしたのです。

 

掲示場所が医療機関なので、「いたい」「だいじょうぶ」「おだいじに」の3つの手話をイラストにしました。

 

また「手話の輪を秋田から」のテーマのもと、「一般社団法人 秋田県聴力障害者協会様」「秋田県難聴者・中途失聴者協会様」「全国手話通訳問題研究会秋田支部様」「秋田県手話サークル連絡協議会様」「手話サークルたんぽぽ様」「秋田県聴覚障がい児を持つ親の会様」から後援をいただきました。

 

初めての試みですが「手話カレンダー事業」にご協力していただいた皆様、ありがとうございました。

 

2016年手話カレンダー 秋田市医師会.jpg

 

手話カレンダーの作製は11月中旬に無事に終わり、12月初旬に秋田市医師会の会員の先生へ600部を無料配布しました。

 

ここは秋田市御所野にある「元町形成外科」です。

院長は手話秋田普及センターの理事でもある橋田直久先生です。

 

新規キャンバス.jpg

 

もともと手話カレンダー事業は、まだ法人の設立前に先生に相談をしていた頃のことですが、「(手話の普及をしたいなら)待合室に手話カレンダーを貼ったらいい!」という橋田理事のアイデアから始まりました。元町形成外科では、受付の横の一番目立つ場所に貼っています。多くの医療機関が続いてくれればうれしい限りですね。

 

嬉しいことに、11月18日の秋田さきがけ新聞の記事になりました!

手話カレンダーの作製も取材も聾学校の生徒さんがとても頑張ってくれました。

 

さきがけ 手話カレンダー.jpg

<秋田魁新報社許可 151119-120号>

 

後日、作製した手話カレンダーについて「販売はしていないの?」とのお問合わせがいくつかありました。大変ありがたいお話なのですが、「非収益事業」として進めていたため販売用の分までは作製していませんでした。来年以降の検討課題とさせていただきます。

 

12月17日には読売新聞(秋田版)で、「カレンダーで手話 身近に」というタイトルで記事にしていただきました。

 

今回は依頼を受けたのが12月に入ってからで時間もなかったので私が単独で取材を受けることになりました。

 

「手話を身近に感じてもらえたらうれしい」

 

「社会の中で手話が当たり前と思ってもらえるようにしたい」

 

これまでずーっと思っていたことが、記事(活字)として伝えていただくことになって、記者の方にはとても感謝しています。

 

ついには秋田朝日放送さんからも取材の申し込みを受けることになりました。

 

私は、人前(カメラ)に出るのが苦手なのですが、「多くの医療機関に貼ってもらいたい」との思いから受けることにしました。

 

「手話は娘にとっては言語なので、もっと身近にしたい」

 

「そのためには多くの人の目にふれるところ(医療機関)に貼ってもらおうと思ったこと」 

 

秋田朝日放送さん側も放送は「(カレンダーなので)早めのほうがいいでしょう」とのことで、さっそく12/24の「トレタテ!」という番組で紹介していただきました。

 

手話カレンダーは秋田市医師会の会員の先生(会員数600人)に無料配布するのが主目的でしたが、少し多めに作製して共同製作者である聾学校と後援をいただいた各団体に寄贈しました。

またせっかくなので行政機関や公共施設等にも寄贈して掲示していただこうと思いました。

 

主な寄贈先は秋田県障害福祉課(秋田県庁本庁舎2階)、秋田市障がい福祉課、秋田市商工労働課、等です。

 

県庁 県民ホール.jpg

(秋田県庁1F県民ホールの様子です。右は拡大画像。)

 

年が明けてからですが、秋田県庁1F及び秋田地方総合庁舎1Fの県民ホール、秋田県教育庁(秋田県庁第二庁舎7階)、秋田市消防本部2F、土崎消防署、等にも掲示していただきました。

 

他にも公益財団法人あきた企業活性化センター様(秋田県庁第二庁舎2階)や秋田市社会福祉協議会様にも寄贈しました。

 

なおこれとは別に同じデザインですが秋田市医師会の名称を外したものを若干数、作成していて秋田市医師会以外の医療機関や学校、民間の交流センター等に寄贈して掲示していただきました。

 

来年以降もこの手話カレンダー配布による普及活動は、手話秋田普及センターの主要事業として継続していく予定です。

 

 

関連記事.jpg

 

手話を身近に 手話カレンダーを作製しました♪

 

2015-12-31 04:00:00

手話で伝えられる商品.jpg

 

12月7日の秋田さきがけ新聞の「ふきのとう」のコーナーにて「手話くっきー」と「バウムクーヘン」について紹介していただきました。

 

ふきのとう 手話くっきーとボウムクーヘン.jpg

<秋田魁新報社許可 151215-129号>

 

うれしいことに「さきがけon The Web」でも配信していただけました。

 (*記事及びリンクは秋田さきがけ新報社に使用許可済ですが、「さきがけon The Web」のでの配信は終了しました。)

 

娘はこの春まで聾学校幼稚部と幼稚園とオリブ園(秋田市の難聴児通園施設)を掛け持ちしていましたが卒園後は聾学校小学部に行くことが決まっていたので、園のお友達とはお別れです。

 

そこで感謝の気持ちを伝えるならそれは娘の言葉である「手話で」と思ったのが、商品化のきっかけなのです。

 

手話バウムクーヘンと手話くっきー.jpg

 

右側が卒園時に配った「手話くっきー」で、左側が法人設立時に配ったバウムクーヘンで、イラストは私が描きました。

 

当初は「手話くっきー」のみを商品化するつもりで、バウムクーヘンは「手話の輪を秋田」にかけて法人のPR用として作っただけでした。

 

好評でしたのでイラストを「ありがとう」に差し替え10月8日より、手話秋田普及センターのオリジナル商品「バウムクーヘン(ありがとう)」として販売を始めることにしました。

 

キャラクターのチャコルが手話で「ありがとう」としているイラストをシールに貼っていて、手話を知らない人にも普及の一助になればと思っています。

 

Ver.1ではシンプルなデザインにしてみました。

 

手話バウムクーヘン Ver1.jpg

 

「秋田いっぱいのおみやげ屋さん フルゥール」 さんと、10月9日より「メガネの玉屋・中央店さん」で委託販売を開始しました。無名の商品を、ともに店舗の一角にコーナーを設けていただいて、たいへんありがたく思っています。販売価格は170円(税込)/個です。

 

手話バウムクーヘン Ver2.jpg

 

Ver2.では下地をピンクにしてよりやさしい色合いにリニューアルし12月10日より販売を開始しました。

 

手話くっきーと店頭の様子.jpg

 

11月10日からは手話秋田普及センターのオリジナル商品の第2弾として「手話くっきー(ありがとう)」の販売を始めました。

 

こちらはクッキーに直接「手話でありがとう」とプリントしている商品で春の卒園時のものよりも包装の部分を黄色にしてやさしい感じをだしてみました。

 

この手話くっきーとバウムクーヘンについては、12月15・16日に秋田拠点センターアルヴェで開催された秋田県障害者社会参加促進センターの主催による「第15回心いきいき芸術・文化祭」にも出品しました。両日、多くの団体が製品の販売やPR活動をするのですが、「秋田県聴覚障がい児を持つ親の会」でも参加して、親の会から販売していただき「手話と商品」のPRをしました。商品の広がりが手話の普及の一助になれば、うれしいです。

 

 手話クッキーは平成28年4月1日をもって、バウムクーヘン(ありがとう)は平成28年7月4日をもって販売を終了し、この思いは手話サブレに引き継がれています。お買い上げくださった皆様、ありがとうございました。

 

2015-12-31 03:00:00

12月18日、秋田市にぎわい交流館「AU」にて、「あきたビジネスプランコンテスト2015」の最終審査会が行なわれ、出場してきました。

 

2015ビジネスプランコンテスト.jpg

 

法人設立の準備をしていた頃に「全国的にも珍しい取り組みだから」とコンテストの出場を勧めてくれた方がいたのがきっかけですが、私自身、応募すべきかどうかギリギリまで迷いました。

 

「手話の普及⇒ビジネスプラン」と言われてもピンとこない方が多いでしょうし、商品販売も小規模なので厳しいと思っていたからですが、7月31日の応募締切日に書類を提出しました。

 

私は大勢の前で話すことが大の苦手なのですが、このコンテストが手話について少しでも理解をしてもらえる機会になればと思ったからです。

 

なんとか1次の書類審査、2次の面接審査を通過し8組のファイナリストに残ることができました。

 

そして18日の最終審査会では「なぜ手話なのか」「なぜ手話のイラスト付きのお菓子なのか」を会場のみなさんに向けてお話させていただきました。

 

手話クッキーはもともと自分が欲しかったから商品化したこと、「手話という言語で伝えたい」と思っている人は少いながらもいること。。

 

私の拙い話はビジネスプランとは少しズレた内容だったかもしれませんが、自分なりに頑張って「優秀賞」(最優秀賞以外の7組全員なのですが)をいただくことができました。

 

あきたビジネスプランコンテストの主催者である公益財団法人あきた企業活性化センター様は秋田県庁第二庁舎の2階にあるのですが、後日、担当された方に御礼のあいさつに伺いました。

 

合わせて手話カレンダーを貼っていただけないかとお願いしたらさっそくご案内の横に貼っていただけることになりました。

 

あきた起業活性化センター.jpg

 

 「もう1枚貼りますよ」と言ってくれたので、お言葉に甘えて入口の受付の横にも貼っていただきました。結果として秋田県庁の第二庁舎に2枚貼っていただくことになり、出場したご褒美となりました。

 

これからも「手話がどこでも見られる社会」を目指して頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。