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FBで友達になったReed Mohamedさんの体験談や思いにとても共感しました。彼女は日本人のろう者ですが、夫がエジプト人です。
DeafLife_Brigeというサイト(有益な情報が満載です)のコラムからですが、多くの人に読んで欲しいと思いました。許可をいただきましたのでNo1~No8まで転載してご紹介します。
Reem MohamedさんのコラムNo1「ろう学校幼稚部」
(2016.02.05)
私は、普段は会社に勤め、時々中近東情勢をブログに載せています。
私がろう者ということを知らない方からは、「ジャーナリストですか?」という質問を頂くが、そういう風に思われていることはとても嬉しい事であります。
しかし、残念ながら堂々と胸を張って「はい!そうです!」なんて言えない(笑) そんなことは、さておき、自分の事を書いてみようと思います。
私は、先天性風疹症候群による先天性の聴覚障害者。
つまり、母が私を妊娠中に風疹にかかってしまい、それが原因で私の耳が聞こえなくなったということである。
この事実を知っていたのは、父だけだったらしく母が入院中に医者からの告知を受けたそうだ。
母は、産後までずっと全くこのことを知らずにいたらしく、ただ祖母だけがなんかこの子はおかしいと怪しんでいたそうだ。
やがて、大きな音に反応しないということに、母は気づき色々な病院に連れていっても結果はどこも同じだったそうだ。
「手術することは出来ません。一生治りません。」 母は、私を道連れにして自殺しようとまで考えるほど打ちのめされたと、後で教えてくれた。
三歳でろう学校の幼稚部に入学すると、そこにはもう言葉では言い表せないほど厳しい壮絶な戦いが待っていた。
この頃の、私と言えば補聴器になれずつけるのを嫌がって投げていたらしい。。。。 この時は、別に「口話至上主義」ではなく、小学生から高校生のお兄さん、お姉さんは手話で会話をしていたから、当然子供たちも手話で会話をしたいと思うわけである。
しかし、私たちの時に手話禁止になったのである。
担任の先生が、親たちに「お父さんお母さん、大変心が痛むと思いますがこの子たちの将来を見据えて考えて欲しい、今後、手話が使える人が増えたとしてもわずかに過ぎない、この子たちがコミュニケーションで苦労すると思います、だから手話を使わないで下さい」的な事を話され、それからというもの、発音の訓練、聞き取りの訓練、読み取りの訓練が始まった。
家に帰ってからもそれは同様で正しい発音が出来るまで泣いても何回も繰り返し繰り返し言わなければならなかった。
「なんで出来ないの!」ってぶたれたこともある。
絵日記を毎日書くことが習慣で、文章も助詞を間違うと「ちがうでしょ!!!」って鬼のような顔で言われたこともあった。
大泣きしても、その訓練は終わることは無かったから、親をたたいたりして癇癪を起こして物を壊したこともある。
※あとで祖母が「あんたのお母さんはな、ここに来ては泣いていたんだよ、なぜここまで厳しくしないといけないのかって」って教えてくれたので、父も母も本当は辛かったんだなって思ったのです。
しかし、訓練の時間が終われば楽しいこともいっぱいあったので、それだけは幸いだったと思う。
父と、車に乗って旅行に行ったりそこらへんの子供と同じように買い物に行ったり家の近くが海だったので、色んな魚や貝を捕ったりしたこともあった。
私は、昼までろう学校の幼稚部に通って、家に帰ったら今度は近くの公立の保育所に通うというコースだったから、保育所でのクラスメートとは言葉が通じないことからしょっちゅう喧嘩をしていたらしいが、都合の悪いことは忘れるというもので覚えてなかったりする。(冷や汗)
でも、今でも当時のクラスメートとは帰省すれば会って話す事もある。
保育所の時の友達と一緒に同じ小学校へ行くものと思っていたが、親はろう学校の小学部にそのまま行った方が望ましいと考えて、ろう学校の小学部へ。
そのまま、高等部までずっとろう学校で過ごし、大学に進学して国際比較文化や国際情勢などを専攻。
この時の話は、あまりにも長すぎるので後日に書こうと思う。
今では、手話も出来ますが普通に読み書きも出来て会話が出来るので親に感謝の気持ちでいっぱいです。
もし、親が心を鬼にして訓練をしてくれなかったら話せないままだったかもしれません。
ところで、よく、子供をろう学校に入れるべきか?普通の学校に入れるべきか?で揉める話を耳にしますが、大変難しい問題だと思います。
なぜなら、そこに「正しい」か「間違い」かという答えは無いから。
特別支援学校、ろう学校とも色々と繋がりながら、お子さんの聴力、学力、理解度なども合わせていかれたらいいと思います。
私は、ろう学校に通っていなかったら大学に行けるレベルに達していけなかったと自分の経験からそう思っています。
(あくまでも、これは私のレベルでという話です) インテグレーションも、(普通の学校へ行く)並大抵の努力がなければ、ご両親や周りの方のサポートがなければ決して楽では無いと思います。
特に、普通の学校では、中学生になると授業の内容も困難になり小学校と比べてスピードも早くなっていくので、理解が出来ないまま進んでいくとどんどんわからなくなり、孤独感を感じていくという話も聞きますので、その点では、ご両親の方、先生のみなさま、さりげなく今はどのあたりを理解出来たかな?など尋ねてみてください。
「ろう教育」についても、こちらのコラムでまた書かせて頂きたいと思います。
長くなりましたが、今日はこの辺で。
何か、質問や聞きたいことがありましたら、遠慮無くメッセージを下さい。
Reem Mohamed
コラムNo2「口話法って何?どんな訓練?」
(2016.02.08)
先日のコラムを読んで頂き、ありがとうございました。
我ながら、拙い文章だな、と読み直しては反省しきりです。
ところで、いくつか質問を頂いたので、今日はこの質問とその回答を載せようと思います。
そのあとに、聞こえないお子さんをお持ちの健聴のお父さん、お母さんにぜひ読んで欲しいなと思うことがありますので、そちらもぜひご一読下さい。
<質問> Reemさんの聴力はどれぐらいですか?
<回答> 110DBです。スターキーの耳穴式の補聴器を両耳に装備しています。 補聴器がなかったら、戦闘機が飛んでいるのもわからないです。
※デシベルについては、こちらをご覧下さい。 http://macasakr.sakura.ne.jp/decibel.html
<質問> 口話での教育とはなんですか? またどのような訓練がありますか?
<回答> これは、各地のろう学校によってまちまちですが、私の経験を書きます。
簡潔に書きましたが、分かりづらかったら申し訳ありません。
発音の訓練ですが、まず母音の「あ」「い」「う」「え」「お」を徹底的に訓練します。
これがうまく出来ないと、子音が加わった発音がうまく出来なくなるので。
次に子音の訓練になりますが、舌がどういう風になっているかを絵か先生が口の中を見せてくれてそれを真似してやるというパターンにいきます。
まず、子供たちの手をとって、先生がその手を胸に当てます。(セクハラでは無いw)
そして、振動と口の形で子供たちは学びます。
「か」行は、人差し指をのどのところに持っていきます。
「さ」行は、片手を(甲を上にして)唇から手前のところまで志村けんのアイーンの逆パターンに流します。
「た」行は、舌の上に間違っても飲み込めるような薄い溶けるお菓子を置いて、それが上にくっつくようになるまでやる。
「な」行は、人差し指を鼻に当てます。鼻に振動がくるまでやります。
「は」行は、縦に切ったティッシュの紙切れ(幅は2cmぐらい)を口の前に置いて、それが息によって前に動くことを理解して、そのようになるまでやる。
「ま」行は、ほっぺたに手を当てて、そこが震えるかどうかで繰り返しやる。 「や」行は、唇の動き、舌はどこにあるか?を見て真似していく。 「ら」行は、舌の動き、舌の先に前述のお菓子を置いてそれがどこに当たったかを言いながらやる。
「わ」「を」「ん」これは、唇の動きとか、どこが震えているかを指で当ててやる。
発音の訓練は、このような感じで次が「聞き取り」の訓練。
これは、先生が黒板に例えば「りんご」「みかん」「バナナ」とか絵と文字を書いて、唇を紙で隠して何を言ったかを当てる練習。
間違えれば、正解が出るまで続きます。
「言葉」をどのようにして覚えたのか?というと私の家には、あらゆるものに言葉が書かれた紙が貼ってあって、例えば、壁には「かべ」、花瓶には「かびん」。
本当に貼り紙のない所って無かったように思う。
全部、本当に理解出来たのか?と母も怪しい、、、、と思っていたと思う(笑)
コラムにも出ました、絵日記は、小学部に入るまで続き、何十年か経ってこの絵日記の存在を知った先生に後輩のために、譲って欲しい!と言われ全部譲ったので手元にはないです。
まず、母が「いつ」、「だれ」○「どこ」○「なに」○「どうした」というような単語が書かれた紙を貼っていきます。
その紙の下に私が答えを書きます。
○は、「が」「は」「を」「に」とかの助詞が入りますが、これも自分で考えて書かなくてはいけません。
間違うと、「違うでしょ!」「これじゃない!」と。。。
自分の気持ちも「楽しかった」「いやだった」「悲しかった」など、これも考えて書かないといけないので、絵と感情があっていなかったら、やり直しになります。
何回も間違えると、涙が出てもうやだよ!書きたくない!!て言って鉛筆を投げては絵日記も投げていたような。。。
絵も当然描くわけだから、出来上がるのに2時間か3時間はかかっていたと思う。
あとは、図書館にほぼ毎日のように通っていたため、(私が絵本が好きでどうしても毎日のように行きたがっていた)これも大きかったと思われる。
最後に、 上とは別ですが聞こえないお子さんをお持ちの健聴のお父さん、お母さんにぜひ読んで欲しいなと思うことを書きたいと思う。
私には、5才下の妹がいます。
妹は、大変頭がよく数学や物理に大変強く何でも出来る子でした。
もちろん、親の言うこともきちんと聞いていて、反抗期というその言葉とは全く無縁で 私の親は妹のことをよく出来た子だ!と自慢していたように思います。
しかし、中学生になると突然体調を崩すようになり次第に学校に行くのが嫌だ!というようになりました。
(いわゆる登校拒否ですね) 親も、この出来事にどうして?!なんで?!と妹に何回か話をしたり気持ちを聞こうとしたりしたけど、結局 妹は話しませんでした。
私は、当時 県外に住んでいたのである日親がいない時期に家に帰ったら妹がいたので、二人きりになることはあまりなかったので、「なんでだ?お父ちゃんもお母ちゃんも心配してるぞ!なんかあったのか?」って尋ねました。
すると、妹はそのうちに重い口を開けて 「うるさいんだよ!お姉ちゃんばかりいい子ぶって!!」 「なんでわからないの!!お父ちゃんもお母ちゃんもお姉ちゃんばかり見て、何があってもお姉ちゃんが、お姉ちゃんが!!!そんなことばかり!」 「例えばお姉ちゃんが門限破って遅く帰るとお父ちゃんは家の外で仁王立ちして待って、そして怒るじゃん!なのに、自分が遅く帰っても怒ってくれない!あなたは聞こえるから大丈夫だね!」 「お姉ちゃんは聞こえないんんだから!」 「そんなことばかり!!!」 かなり衝撃的で、こっちがガツンと斧で頭をやられたような感じだったのを覚えています。
このことを、親に私から話したところ、2人ともショックを受けていました。
自分では、平等に愛しているつもりが妹にはそう感じていなかった(受け取れていなかった)ということ。
それから、親と妹の間で話が行われたようですが、どういう風になったのかは私はその場にいなかったのでわかりません。
が、妹が今までそんな風に我慢というか、気持ちを抑えてきたことに少なからずともショックだったので、こういう事があったということをろう学校で講演があるたびに、保護者の方や先生たちにも話しています。
でも、妹はそれから学校に毎日通うようになり、難関の学校に進学して今では立派なエンジニアです。
このような事がありましたので、どうか思い当たる方がいらしましたらぜひお父さん、お母さん今のうちに話し合って改善していかれてみてください!!
Reem Mohamed
コラムNo3「小学部~高等部の思い出」
(2016.02.10)
ろう学校のことを、法令上では、特別支援学校というが、その名称をつけない学校もある。
ここでは、混乱をさけるためにも、「ろう学校」で記述する。
※漢字では「聾学校」と明記する。
ろう学校には、幼稚部、小学部、中学部、高等部、「高等部の専攻科」があり、入学資格はそれぞれ幼稚園、小学校、中学校、高等学校、「高等学校の専攻科」に準じている。
国立・公立・私立の聴覚障害者を対象としている、ろう学校は全国で106校ある。
さて、私のことを書こう。
私が小学部に入学した時、普通の小学校へ転向した同級生もいたのにも関わらず、ろう学校の中で一番人数が多い学年として注目されたような気がする。
小学部でも、相変わらず発音の練習や聞き取りの練習などは続き、一般の小学生が文字を書いて覚えていくとか、算数の勉強をしていくとか、そのような勉強が全くなかった。
2年か、3年の時だったと思う、私たちの親が集まって先生たちに強く抗議をしたらしい。
私たちの親は、親同士での団結力も他の学年の親よりもとても強かったと思う。
そして、自分の子供ではないのに、同級生が発音が悪かったらその都度、「今の発音悪かったよ?もう一度「さ」って言ってみて?」とかそういう注意をしてくれる親もいたから、それだけ、子供たち全員が自分たちの子供という気持ちも強かったのだろう。
先生たちの中に、ろう教育に熱心か、その専門の知識をもっている先生が全くいなかったというのも、あるかもしれないが、親たちはものすごく怒ったということを成人してから知った。
先生たちも、親たちの剣幕に驚いたらしいが、何のために「先生」になったのかを改めて考えさせられた日でもあった、と教えてくれた。
私たちは、そんな事があったとは露知らず、ある日、いきなり教科書を机の上に開いて普通に国語、算数、理科などの勉強が始まり大変戸惑ったものである。
しかも、ベースも早くあがるから、どこかで誰かが内容が全く理解できずに取り残されてしまったということも、何回もあったと思う。
でも、突然だったし、それぞれ理解できるスピードが違うわけだからマイペースな人は大変だっただろうなと、今も振り返ってそう思う。
小学6年になると、当然中学部への進路を考えるわけだが、その時にもう中学を出たらどうしますか?という話もあった。
私が、小学部にいた時、高等部は木工と被服という専門の学科しかなかった。
小学生ながら、なんでこの学科しかないの?嫌だ!そんな学科行きたくない!!と思っていた。
そして、出来たら、大学にも行きたいなと密かに思っていた。
中学部にあがると、部活にも入らないといけない、授業のスピードはあがっていく一方で、内容もますます難しくなってくるし、本当に学校へ行くのも憂鬱だったと思う。
私は、国語、英語、社会(歴史、公民)はかなり得意なほうだったけど、数学がとても嫌いで数学なんか無くなればいい!と本気で思ったことがある。
中学2年の時に、同級生みんなで「普通科」を作ってもらおう!ということで先生、校長先生にお願いをした。
中学3年の秋だったと思う、教育委員会から許可が出て「普通科」ともう一つの学科が新設され、木工と被服はもう一つの学科に一部移行された。
こうして、高等部受験は「普通科」の第一期生を目指して受けたのだが、そのあとは本当に色々な意味で大変だったと思う。
大学や専門学校などに、(私がいた)ろう学校からは誰一人として出たことがなかったから、みんな本当に大丈夫なのか?これで、大学にいけるのか?など色々な事を考えていたと思う。先生たちの中にも、大学なんて行けるわけがないよ!という人もいたから、それだけ未知の世界だった。
そして、校長先生が密かにお願いしてくださったのか、教育委員会の方が配慮してくださったのか、それはわからないが、県内の進学高校から何人か先生が転勤してこられた。
今まで、会ったことがないタイプの先生ばかりで、先生たちの方もろう学校に初めて転勤になってお互いに動揺したと思う。
普通の進学高校に通われた人なら、分かると思うが、中学部であれだけ苦労したスピードが更にアップして、気が付けば15ページ以上も進んでいるからうかうかしていられなかった。
私はと、全国模試の成績が悪かったりして先生に呼ばれて怒られるということも一度や2度ではなかったと思う(笑) 特に、数学でどうしても成績があがらず、ひそかに塾に通っていた。中間テストや期末テストなんて、本当に地獄だと思った。
試験前の勉強をサボって、どっかへ遊びに行くとよく母と喧嘩になっていたが、父には、いつも「頼むから0点取ってくれ!0点取ったら、何かいいものをあげるからさ!!」と言われたものだった。(苦笑)そういわれると、俄然やる気が出てくるものだった(笑)
娘の性格を良く知り尽くした上での、父なりの励まし方の仕方だったとは思うが、実際に言われる方は悔しいのである(笑)
私の幼馴染の何人かが、県内でも有名な進学高校に通っていて東大とか京大に行くためのコースを選択していたので時々、ノートを見せてもらったことがあるが、本当に変わらない内容だったから、今でも我ながらよくついていけたな、、、と思う。
2年の時には、何回も相談して志望の大学を決めて、3年には泣いても笑ってももうこれが最後だという気持ちで大学受験に臨み、合格し、そのまま志望の大学に進学しました。
長くなりましたが、「夢」を叶えるためには私の場合、本当に環境や多くの人たちの支援があってこそ、出来たものです。
大学に行く人が今までいないのに、、、というその壁を打ち破ってくれた当時の先生や校長先生には感謝しても感謝しきれない気持ちでいっぱいです。
ところで、余談ですがあれほど大嫌いな数学や物理や化学にもう関わる事はない!と思っていたのに、今はそれらが必要な仕事に就き、本当に人生とはわからないものです(笑)
高校時代に、もっと真面目に勉強すればよかったと後悔することもしばしばです(笑)
Reem Mohamed
コラムNo4「"ろう教育”における私個人的な考えも含めて」
(2016.02.26)
今日は、「ろう教育」について私の個人的な考えを含めて書こうと思います。
「聴覚障害者」といっても、全てを一括りにすることは出来ません。
世の中、思考、考え方、性格などが異なる千差万別の人間がいます。
聴覚障害者も、聞こえのレベルが軽度だったり中度だったり高度だったり、そして二重以上のハンディをもっているという人もいます。
私は、「ろう者」ですが先に書いたように「口話史上主義」の時代のろう学校で過ごしたので、「手話史上主義」というタイプの方とは全く異なります。
聞こえのレベルはもとより、育った環境、家庭や学校での考え方なども加わって「手話」を使う頻度も変わってくるように思います。
また、「ろう教育」については、色々な議論が各地で行われています。
ろう学校における「ろう教育」についてFacebookでも少し自分の意見を述べましたが、これは一般の小、中学校の特殊支援クラス(あるいは難聴クラス)でも同じことが言えると思います。
見逃されやすい教師の採用についても、みんなで考えていく必要があります。
各地で、この件について議論がなされていますが、日本全国で統一していく必要があるのでは?と思います。
私自身、一般の会社員のためろう学校の教員たちが集まって会議などを行っているかどうかはわからないのですが、おそらくあると思います。
さて、ろう学校及び特殊支援クラスの教員について、多くの方が誤解されてるのが、以下のケースの場合です。
教員採用試験は、都道府県によって差異はありますが、必ずしも、特別支援学校勤務において、特別支援学校教諭免許(聴覚障害者だけではなく視覚肢体障害者などの特別支援教育の分野)か 旧聾学校教諭免許が必須ではありません。
特別支援教育諸免許を持つ人を別枠で取らず、小中高の基礎免許を基に一括採用する都道府県がほとんどという現状です。
だから、本来ならばこの特別支援学校教諭免許、旧聾学校教諭免許を所持しておられる教師がろう学校に採用したほうが「ろう教育」としても最適であるわけです。
しかし、この小中高の基礎免許を基に一括採用する制度があるために、どうしても専門的な知識を持っていない先生が採用、転勤で来られるわけです。
ですので、ここが一番のポイントだと思ってください。
ろう学校=教員はみんな手話が出来る、子供たちも手話を覚える
こういう概念を持たれた方も多いかと思います。
しかし、現実はそうでもない学校も少なくないと思います。
先生方の中には、「ろう教育」「手話」とは全く無縁のところから来られる方も多いので先生方々も「ろう学校」でどうしたらよいのか、何をしたらよいのかで戸惑い、悩む方も多いだろうと思います。
ここで、本来ならば先生方の「手話」が、コミュニケーションのズレが全くないレベルが理想的ですが、先生方も初心者だったり、大学などである程度は出来るというレベルが多いかと思います。
長らくろう学校に勤務されておられる先生も中にはおられるもようですが、いつかは、先生も定年を迎えられます。
そうすると、後継ぎといったような感じの先生方がなかなか出てこなくなります。
こういったことが、「ろう教育」においては一番大事な土台だと私は思います。
ところで、※下の色文字をクリックして下さい
文部科学省のHPで特別支援学校教諭の免許資格を取得することのできる大学の一覧
がありますが、そちらを見て頂いたらわかるように、聴覚障害者を指導するための専門的な学部が非常に少ない事もわかります。
そして、小中高の基礎免許を所持する教員が、教員在職年数と単位修得により特別支援学校教諭免許状を取得する場合もあります。
このように、「ろう教育」における必要な専門知識を持った教員を育成する環境なども重要だと思います。
でも、先生方の中には「ろう教育」を真剣に考えてどのようにして子供たちと向き合っていくのか?子供たちに必要なことは何か?を考えておられる方もいっぱいおられます。
ところで、私は「口話史上主義」のろう学校にいたのですが、時々「手話史上主義」だったらどうなっていたのだろう?と考える時があります。
私の考えでは、言葉を知るためには「手話」は欠かせないものだと思っています。
「手話」を通して、「語彙力」が増えていくと思います。
発音の訓練や、聞き取りなどの訓練、文章力なども、もちろん大事ですが、それにかける時間を使うなら、やはり「手話」で「言葉」を知って覚えたほうが早いと思います。
そして、授業を手話で行うことは、大事なポイントなどを抑えることができ、些細なすれ違いがなくなると思います。
手話がないと、やはり音の区別が出来ないので、例えば「まだ」「また」などで混乱すると思います。
「手話」を基本として、「口話」を学ぶというスタンスがあってもいいと思います。
ところで、健聴者の友人が海外に旅行に行って会話が通じなくてつまらなかった!という話をときたまに耳にするのですが、ろうの友人は全く英語が話せないのに、現地の人とすぐ友達になって色々な思い出を作っている人がいます!
この友人は、普段は手話を使っています。
手話が出来るからこそ、音に頼らないから、なんでも身振り手振りでやっていけるのです。
(さすがに、その国によってはタブーされている身振り手振りは覚えていくもようですが)
だから、海外で長く生活している聴覚障害者の人たちもいっぱいいます!
次回は、何を話すか?まだ考えていませんがお楽しみに!
Reem Mohamed
(Special thanks Reem Mohamedさん)
(2016.08.11)
コラムNo5「"落語”と”手話”の話題で思った事」(Reem Mohamedさん)
前回のコラムからかなり間が空いてしまいましたが、世の中は「夏休み」ですね。
お子さんがいらっしゃる方は、特に大変では無いでしょうか?
私は、なんと歩いていただけで「熱中症」になり、高熱が39度も出て大変驚きました!
足がガクガクと震えて寒気がした時点で、我慢せずすぐに病院に行きましょうね!
室内でも、水分補給をこまめにとって下さいね。
さて、先日相模原で大変痛ましい事件が起きましたね。
この事件についてはまた別のところで書きたいと思います。
今日は最近話題になった「落語」と「入店拒否の店」について色々と自分の思いも踏まえて書きたいと思います。
まずは「落語」と「手話」を。「入店拒否の店」については次回に。
「落語」と「手話」 先日、Twitterで落語家の志らく師匠のつぶやきが多くの聴覚障害者や手話通訳者のかたの間で「これは、どういうこと?」「差別ではないか?」と大きな騒ぎになりました。
私は、たまたまこの流れを直接みていたわけではなく、流れを辿って元のツイートをあとで知ったわけですが、確かに文字だけを読んだら「差別的」だと受け止めてもおかしくはない文章だなぁと思いました。
中には、これは聴覚障害者達をバカにしている!と言う人もいましたが、ちょっと深呼吸して冷静になって考えてみよう。
過去にも島根県で開かれた某市主催の敬老会で、独演会をしていた落語家の三笑亭夢之助さんが、舞台に立つ手話通訳者に「気が散る」などと退場を求める発言をして大きな騒ぎになったことがあります。
※この出来事については、色々と調べた所、市側が三笑亭夢之助さんに事前の説明をしていなかったことや、位置について色々と打ち合わせをしていなかったというのも、原因の1つだったもようです。
どうして、志らく師匠がこういうことを言ったのか? 師匠と私達の間で大きなズレ(誤解)があるのではないか?
色々な面から物事を一つ一つ見て考えて私なりにまとめてみました。
あくまでも、私の意見であって、お互いにどうすればよりよい感じになれるかを考慮した上で書いたので、どうかゆっくりとお読み下さい。
確かに、私達 聴覚障害者のほとんどは手話通訳が日常生活において不可欠です。
手話を「言語」とする人達にとっては、「筆談」よりも「手話」の方が会話をする上で楽だし何よりも理解をするのに重要です。
だから、講演においても当然ながら手話通訳が必要です。
字幕も大事ですが、文盲の方には、字幕よりも手話の方がよかったりする。
当然、この「落語」においても「手話通訳」は必要だ、と私達は思ってしまう。
しかし、志らく師匠は、ただの「手話通訳」で終わって欲しくないわけである。
要するに、落語に精通していて自分の落語のスタイルを始めから終わりまでを理解している人で、自分の落語をそのまま「通訳」して欲しいということである。
例えば、自分の経験からでいうと、アラビア語は日本にいる聴覚障害者に比べたら話せて読めて書ける方だけど、翻訳者になりたいとまでは思わない。
言葉を訳するのは、辞書でもあれば出来るけど、かなりの知識とそれに相応わしい日本語を知っていないとそう簡単ではない。
それと似たような感じだと思っていただけるとわかりやすいのかも知れない。
ところで、アメリカやイギリスでは、「舞台手話通訳」が見られます。
この場合は、まさにそれと同じかなと思います。
アメリカやイギリスでは、手話通訳、字幕投影、また見えない方のために音声ガイド、舞台説明会などがあらゆる劇場などで提供されています。
また、これらの 情報が公的な劇場組合や団体によって集約・提供している仕組みがあり、経費についても法的に保障されています。
日本ではまだまだそのような情報保障は広く広まっていません。
ところで、話がそれるが過去に、志らく師匠が手話通訳者の方と衝突されたことがあったことがあったことを伺わせる記事を見つけたので、一部引用転載します。
だから、志らく師匠が手話通訳に対してあまりいい印象を持っていないのか、と納得しました。
(一部、転載引用) 『手話をやる人に「あらかじめ練習をした方がいいですよ」とアドバイスしたが、同時通訳と同じで、「ぶっつけ本番で大丈夫だ」とぬかしやがった。
私の落語はとにかく早い。ぶっつけ本番で同時通訳ができるはずがない。
やれるものならやってみろと、私は一切手を抜かず、いつも通りに落語を語った。
手話の人は、私の落語についてこれず、途中で断念しておりました。』
でも、師匠は手話通訳をつけることに対しては反対ではないと思うのです。
障害者の方も、リアルタイムに一緒になって楽しめるようにしたいと、プロならみんな同じ事を思うはずなのです。
上の記事からも、わかるように、師匠としては落語に精通していて、落語の流れが分かっていて、少なくとも念入りに打ち合わせをして師匠も満足できるような手話通訳をして欲しいのだと思うのです。
しかし、私の方でも、こういうことが可能な手話通訳者を知りません。
もしかしたら、出来る方もおられるかもしれません。
落語協会の方でも、専任の手話通訳者を養成していけば、師匠や私達の理想に沿った手話通訳者が誕生すると思います。
でも、それが現実となるまでにはどのぐらい時間がかかるのか?
志らく師匠の落語を一度でもいいから、見てみたい!と思う人たちにとっては待ちきれないと思います。
だから、今おられる手話通訳者が舞台手話通訳の方みたいに念入りに打ち合わせして少しずつ改善していくしかないと思います。
そして、落語家のみなさんも、営業などでお忙しいとは思いますが、お時間の有るときにお近くの手話教室などで聴覚障害者たちに会って色々と話してみて欲しいなと思います。
そしたら、手話通訳者にどの場面で強く表現して欲しいのかなど色々と要望が出来るのでは無いのでしょうか?
落語家も、手話通訳者もお互いに時間がとれないと難しい問題だとは思いますが、近いうちに全ての落語家に手話通訳がついて、私達聴覚障害者たちも、健常者に混じっていっぱい笑える日がくることを願っています。 どうか、私達 聴覚障害者たちも健常者に混じって普通に笑いたい、そんな気持ちを落語家の皆様にも知って頂きたいと思っています。
Reem Mohamed
「入店拒否の店」と「神対応の店」の話題で思った事 コラムNo6へ
(Special Thanks Reem Mohamedさん)
(2016.08.08)
コラムNo6「入店拒否の店」と「神対応の店」の話題で思った事
(Reem Mohamedさん)
前回の「落語」と「手話」のコラムにつきましては、たくさんのメールをありがとうございました。
落語ファンの方から、手話通訳士、、、ろう者と本当に色々な方からご意見を頂いたので、自分なりにまとめてこちらに掲載出来れば、、、と思っています。
今日は、「入店拒否の店」と「神対応の店」について、ネットで見られた意見などを参考にして、私なりに思った事を書いてみました。
まず、こちらの話題について何のことかわからない!という方もいると思いますので、そこから話を始めたいと思う。
(色つきの文字はリンクと繋がっています。クリックしていただけるとリンクに飛びます。)
事の始まりは、
尼崎市で開かれた近畿ろうあ者体育大会の卓球競技に出場する滋賀県の7人の選手が 2016年5月21日夜に居酒屋を予約しようと5月9日にFAXで申し込んだところ、店長から、
「当店は手話のできるスタッフはいなく、筆談での対応もしておりません」
「通訳のできる方がおられない場合、ご予約をお取りすることができません」
といった、FAXが届き、やむをえず別の店に行ったもの、選手から相談を受けた滋賀県ろうあ協会が、兵庫県聴覚障害者協会に連絡。
尼崎ろうあ協会の理事らが確認のため同店を訪問したという風になっています。
確かに、「障害者差別解消法」が成立し、実施されてもなお、まだ手話が出来るお店は少なくない。
お店に限らず、駅でも銀行でも100%当たり前に手話が出来る人はまだいないところが多い。
上の店は、チェーン店でその本部は障害者差別解消法の制定以前よりこうした問題については注意を払っていたと、話しているもようだが、なぜ本部の考えが伝わらなかったのだろうか?
次に、「店が悪いとは思えない」とネット上で色々と炎上したもよう。
聴覚障害者が居酒屋の予約を断られた ろうあ団体抗議に「店が悪いとは思えない」の声が
なぜ、「店が悪いとは思えない」という考えが出てくるのだろうか?
本当に聴覚障害者の方が傲慢なのか?
店の人は、拒否して正解だったのか???
もし、肢体が不自由な人や目が見えない人が予約したときにもやはり同じように断ったのだろうか?
聞こえない=話せないという概念は、もしかすると聴覚障害者に会ったことが無い人は誰でも持っているのかも知れない。
手話が出来ないから話が通じないかも!!どうしよう!!とパニックになったのかも知れない。
しかし、
「筆談での対応もしておりません」
ということは、どういうことなのだろうか???
そのお店がどのような感じの店なのかは分からないけど、あからさまにそんな風に言われると、筆談するのも面倒だという印象を強く感じる。
大体、飲食店にはメニューが置かれているはずだから、メニューを指さしすればいいことだし、そんなに始めから終わりまで筆談するわけでもないのに?と思う。
健常者でも、よっぽとの小さな店か対面式の店でなければ、終始喋っていないと思う。
ところで、差別解消法成立前でも、「障害者手帳を持っている人は入店お断り」という出来事があったもようです。
2012年、東京地裁において、
「障害を理由とした入店拒否することは、民法90条の公序良俗違反にあたる」
といった判決が下されています。
詳細は下のリンクをクリック下さい。
民法90条は、「公の秩序又は善良の風俗に反する」内容の法律行為は無効であると定める(同条にいう「目的」は、「内容」という意味である)。
公の秩序と善良の風俗は、区別されずに一括して扱われる。 二つあわせて公序良俗と呼ぶ。 民法90条は、公序良俗違反、すなわち、反社会的な法律行為を無効とするが、具体的にどのような行為が公序良俗違反に該当するのかは解釈に任されている。
だから、これは法令違反であるが、本部の指導不足や店側の思いやりのなさが一番の原因だと思う。
でも、店側も謝罪したということなので、これからは聴覚障害者に限らず誰でも気持ちよくいける店へと生まれ変わることを願っています。
「神対応の店」とは?
こちらのブログの管理人の「ねこ」さんが経験された素晴らしいお話です。
※リンクを張りますので、お時間の有るときにどうぞお読み下さい。
聴覚障害の方が入店拒否されるという残念な出来事がありましたが、こちらの居酒屋の「おもてなし」は大変素晴らしいものでした。皆さんにも感動を分かち合いたいです。
「神対応の店」と私はタイトルにもそう書いたのですが、誤解を招きそうなので説明したいと思う。
先に「入店拒否の店」の話題があったために、そう書いていますが、こういう事は本当は「神対応」ではなく当たり前のことである、ということですね。
本当に、こういうことがどこでも当たり前な社会になって欲しいなと思っています。
最初に書きましたが、聴覚障害者たちを見たことはあっても、接したことが無い人は聴覚障害者でも色々なタイプの人がいるということも知らないと思います。
聞こえないから、話せない。手話で話す。言葉が通じない。などなど。。。
そうなると、「手話わからないけど話出来るのかな?」とか「どうすればいいの???」とかパニックになってもおかしくはないかなと思う。
残念ながら、そういう人は1人はいると思う。
しかし、手話は福祉ではなく、「言語」であるという条例を鳥取県の平井知事が県をあげて最初に声を出したのを皮切りに全国でもその動きが広まってきてるので、少しずつそれぞれの都道府県でも聴覚障害者についての対応などが昔に比べて大きく変わってきていると思います。
しかし、それでもまだまだ100%当たり前に至るところに手話が出来る人はいません。
手話が出来なくても、筆談やUDトークを使った音声認識や文字の指さしなど、、、、工夫すれば出来る情報保障はたくさんあります。
聴者の方も、今は聞こえていても病気や事故、加齢ともに聞こえなくなる可能性はあります。
私は、聴覚障害者をはじめ、様々な身体障害者たちは、聴者の一歩先を歩いていると思っています。
かといって、障害があるなしに関係なく出来ることでも、障害があるからそっちがやるべきだろ!と言う人をみるとそうじゃないのに。。と思うこともあります。
だから、みんなで「思いやり」と「共有」の心を常に持ってお互いに歩み寄っていけたらいいなと思います。
「ねこ」さんが行かれた「酒場やっしょまかしょ」の店長、飯鉢隆弘さんに朝日新聞がインタビューした記事がありましたので、そちらも載せます。
上の方のように、どうしたらいいのかわからないことをハッキリと聞いた上で柔軟に対応してくれる方が、これからももっともっと増えてくることを願っています!
ところで、私の経験ですが、いつもは行かないのですが、その日はものすごく暑くて冷たい物が飲みたいというのもあり、スタバに寄ったことがあります。
暑さでボーッとしていたせいか、間違ってお店の人に手話で「この飲み物を下さい」って言ってしまったのです。
※私は知らない人には手話で話しないです。
そしたら、スタッフのお姉さんが流暢な手話で「はい、かしこまりました。サイズはどちらにしますか?」と話されるではないですか!
すごく驚いて、「手話が出来るんですか?」ってつい質問を。
すると、そのお姉さんはろうの弟さんと普段から手話でコミュニケーションを取ってるということ。
手話で注文するといつもよりスムーズに早く出来て楽だし、何よりも嬉しかった!
だって、まさか手話が出来るスタッフがいるとは思わなかったし、もっともっと、手話が出来る人は「手話出来ます」っていうピンとかを止めてくれたらいいのにな、、。なんて思ってしまった。
そうすれば、聴覚障害者たちも、「あ!このスタッフさん手話が出来るんだ!」って安心して話せると思う。
さて、長くなったが聴覚障害者たちにどう対応すればいいのかわからないという方は、お近くの社会福祉協議会や市役所や手話サークルに行かれてみるのもまた一つの方法だと思います!
また、当事者に直接恥ずかしがらずに尋ねてみてください。 きっと、丁寧に答えてくれると思います。
Reem Mohamed
「聴覚障害者」たちが困っている事、「手話」は何か、などアンケートの結果も合わせて私個人の考えを書きましたので、どうぞゆっくりとお読み下さい。コラムNo7へ
(Special Thanks Reem Mohamedさん)
(2016.08.08)
「聴覚障害者」たちが困っている事、「手話」は何か、などアンケートの結果も合わせて私個人の考えを書きましたので、どうぞゆっくりとお読み下さい。
(Reem Mohamedさん)
※色文字をクリックするとリンク先へジャンプ出来ます。
以前、こちらでアンケートのご協力をお願いしていました。
ご協力して頂いた皆さん本当にありがとうございました。
アンケートは、400以上も来て200ぐらいかな?と思っていたので、大変驚きました。
もう少し、色々と質問を書けばよかったかも知れません。
色々な方の意見や質問で大変興味深い内容がありましたので、私の意見も合わせて載せます。
どうぞ、お時間の有るときにゆっくりとご一読下さい。
アンケートに協力して頂いた方は、聴覚障害者と聴者がほぼ半分という割合でしたが、女性が圧倒的に多かったです。
聴覚障害者の方が日常生活で一番困っていること、困っていると思われることは何ですか?
回答の多い順番に並べました。
鉄道、バスなどの公共機関での放送(事故や遅延などの放送) 51.2%
後ろから近づいてくる車や自転車 38.3%
テレビに字幕がついていない 32.7%
病院などでマスクがあって口が見えない 32.1%
補聴器をつけているから聞こえていると思われて早口で話されること 30.9%
町内アナウンスが聞こえない 27.5%
聞こえないから、手話がわかると思われていること 22.8%
お店などでスタッフが手話に対応できない 19.1%
宅配サービス、郵便局などの方が家に来たときに話が通じない 19.1%
子供の学校での事(参観日、面談、行事など) 18.5%
学校に必要な情報保証がついていない 18.2%
目覚まし時計などがあっても気付かなくて起きられない 14.2%
その他 14.5%
その他という欄には
・職場での雑談を知りたいのに、会話に入ることが出来ず孤独感を感じる
・職場での会議で、会議のレジュメがあっても、情報保障がないため、どこを話しているのか?がよくわからない。(テレビ会議だと尚更わからない)
・耳が聞こえないということは、どういうことかなかなか理解してもらえない
・病院などで行っている患者の会(例えばガンの患者の会とか)に手話通訳をお願いしたら拒否された
・情報保障をお願いしても、条件によっては断れることがある
・家族が聴者で、自分1人だけがろう者。会話に入り込めず孤立。
・中途失聴、難聴で聴力レベルによって級が異なるが、それだけで福祉の手当てや、情報保障が「ろう者」より乏しい
・中途失聴、難聴は、ろう者と違って聞こえると思われ情報保障不要、努力が足りないといわれる
・ろう者には、手話が必要という認識が不足しているのか、筆談で大丈夫だと言われ困る
・火事などの緊急時の避難時の呼びかけが聞こえない、わからない
・聴者のルールがわからない
・場の状況がわからず、どう対応すればいいのかわからない
・暗黙の了解が聴者には通じるが、聴覚障害者には通じないということを知らない人が多い
・誰でも読唇(唇の動きを読み取って何を言っているのかを理解すること)が出来ると思われている
・夜間などに緊急時が発生した時の連絡手段があまりない
・大きい声、耳元で話せばいいとおもわれていること
・補聴器=聴者と同じように聞こえるもの、と思われていること
・聴覚障害者同士、または関わる人同士でも認識の違いや互いの立場での理解不足や誤解もあるということをしってほしい
・地域によって手話も異なるところがある、「日本語対応手話」と「ろう手話」があるので覚えるのが大変だ
・字幕表示ができないリモコンのある(またはその設定をさせないようにする)テレビを置いているホテルが多い
・手話通訳者、要約筆記者が不足している
・情報保障を依頼する際の報酬が高すぎる
・ろうあ連盟や難聴協会などの協会で閉鎖的なところがあるので、みんなが気軽に入れるようにして欲しい
・字幕付きの映画が少なく、楽しめない
・盲ろう者がいるということも知って欲しい
・聞こえない人に話すということは、歩けない人に歩けと言っているようなもの
・電話が出来ないのに電話が出来ると思われていること
・口語(口で話す事)はどんなに頑張っても限界がある
・中途失聴だから、話していくうちに聞こえていると思われて早口で話されてこまる
・大勢の中でみんなの口を読み取るのに疲れてしまう
※情報保障(じょうほうほしょう)とは、身体的なハンディキャップにより情報を収集することができない者に対し、代替手段を用いて情報を提供すること。
情報保障とは、人間の「知る権利」を保障するもの。
いつでも、誰も情報が伝わらない状況に陥る可能性がある。
特に聴覚障害者は、音声によって提供される情報や会話を理解できないため、日常的に情報から疎外されているといえる。
そのため、一般的に「情報保障」とは、聴覚障害者に対するコミュニケーション支援を指して用いられる。
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こうしてみると、いかに聴覚障害者が様々な場面で困っている事は何か?がよく分かると思います。
聴者の方から見ると、当たり前に思っていることが、私達聴覚障害者たちにとってはそうではなく、不便を感じたり不快感を感じることがあります。
鉄道、バスなどの公共機関での放送(事故や遅延などの放送) が51.2%と多かったのですが、私も乗っていた電車が人身事故を起こして緊急停止になった時に、何が起きたのかわからず、周りの人を見るしかなかったです。
ドアが開いて、みんなが降りているのはわかったけど、その後がわからない。
親切な女性が、丁寧に説明して下さって、初めて人身事故を起こしたこと、振り替え輸送で近くの別の鉄道の電車に乗ること、、、、そのやり方など何から何まで初めての経験でその方がいなければ帰れなかったと思う。
本当に、こういうときの状態ではみんなパニックになっているか自分のことで必死になっているから聞こうとしても教えてくれない人もいると思う。
もし、おろおろしていたり「あの、、、」って話しかけて来る人がいたら、立ち止まって「どうかされましたか?」っていう声かけをして頂けたら嬉しいと思います。
あと、『聴者のルールがわからない』これについてはまた別のコラムで書かせて頂きたいと思います。
ところで、視覚障害、肢体障害の体験はアイマスクとか電気を消すとか、車椅子にのるとかで体験をすることが出来ます。
しかし、「音が聞こえない」という体験は、どうしても難しいです。
なぜなら、どんなにヘッドホンをしても耳栓をしても隙間から音が聞こえてきます。
テレビの音を消して、字幕なしで好きな番組を見るという方法が一番わかりやすいかもしれません。。
聞こえない人でも、色々な人がいます。
大きく分けて「ろう者」「中途失聴者」「難聴者」「老人性難聴」とあります。
こちらに詳しく書かれていますので、ご覧下さい。
聴力のレベル、いつ聞こえなくなったか、などで受ける福祉の制度も異なったり情報保障をどこまで必要としているのかが理解されなかったりします。
私は、人工内耳の方でも中途失聴の方でも「聞こえない」のは「聞こえない」と思っています。
分かりやすい言葉で言うとその人がその場で必要としている情報が100%完璧に取得されていないということです。
100%完璧に情報を取得するためには、1人1人のレベルに合わせた、情報保障と周囲の理解が何よりも大事だと思います。
周りの人に、自分がどれだけ聞こえないか、何の情報保障がどのように必要なのか?を伝えることは、とても勇気がいることだと思います。
でも、別に恥ずかしいことではありません。
なぜなら、聞こえる人も事故、病気、加齢などで聞こえなくなる可能性もなくはないからです。
聞こえない人が、どう感じているのか?
補聴器があるから、聞こえていると思っている方は、改めてもう一度、その方に尋ねて見て下さい。
その「思い込み」がお互いのズレを生んでいるかもしれません。
テレビと映画の字幕については、のちほど別のコラムで取り上げたいと思います。
手話が「言語」であることを知っている。
96.9%が知っていると回答。
知らないと述べた人の中にも、聴覚障害者がいたので、全ての人にもっともっと呼びかけたいと思う。
また日本手話(ろう手話)は、日本語とはまた別の言語です。
手話は、言語学的には、音声や文字を媒介とする言語と同じ緒特徴を共有する記号体系である。
1960年にギャローデット大学の言語学者、ウィリアム・ストーキー(William Stokoe)が『手話の構造』という論文を発表。
手話は、音声言語と変わらない、独自の文法を持つ独立言語であるという内容。
これをきっかけにして1970年代以降、手話を言語学としての研究対象とする学者が増え、現在では、言語学者の間で「手話が言語である」というのは常識になっている。
あなたの住んでいる所では、手話は手話言語条例(呼び方は地域によって異なります)になっていますか?
はい 29.6%
いいえ 33.0%
しらない 33.7%
「知らない」と答えた方の中に、聴覚障害者の方がいました。
『手話言語条例』そのものがあるということを、知らないのか?
それとも、自分が住んでいる所の聴覚障害者への活動に無関心なのか?
それは分かりませんでしたが、「知らない」ということは非常に残念だと思いました。
もう一度、障害にあるなしに関係なく、皆さんお住まいの自治体がどうなっているのか?を
こちらで確認してみて下さいね。
でも、中途失聴の方、手話を知らない難聴の方にとっては「要約筆記」の方が重要だと思います。
要約筆記の重要性も、手話と一緒に広めていかないといけないなとも思います。
『手話言語条例』とは何か?を下に書いておきます。
『手話言語条例』って何?
全国に先駆けて手話言語条例を制定した鳥取県のHPにわかりやすく掲載されていますので、そちらをご覧下さい。
手話を覚えたいと思いますか?
はい 75.6%
いいえ 6.2%
その他 18.2%
覚えたい!という人は、以下のような回答がありました。
・周りの人の影響・職場に聞こえない人がいるので、コミュニケーションを図るために
・手話は新しい手話も生まれてくる、ろう者だけどもっと覚えたい
・手話はとても楽しいし、ろう者と聴者がコミュニケーションをとればとるほどお互いが近く感じられる
・ろう者の不安を少しでも理解し、通訳が出来たらいい
・様々なコミュニケーションの支援の1つだから
・言語の1つとして、手話を勉強したい
・筆談より早いし、時間がかからない
・ろう者にとって必要な言語であるということを理解しているから
・聞こえない人が考えていること、その文化や歴史を知りたいから
・聞こえる人の考え方を知ってほしい
・筆談では意思疎通が出来ていないことをしっているから
・恋人・配偶者が聴覚障害者だから
・人工内耳装用ですが、外しているときとかは聞こえないので、コミュニケーションを図るために手話を覚えたい
・未知の言語への興味
・観光に来た外国人に、道を聞かれたときに英語で答えるのと同じように手話で聞かれても手話で答えられるようにしたい
・同じ国に住んでいるから、聴覚障害者たちの「言語」も覚えたい
・聴者でも煩いときには非常に便利・言語学者として、研究の一環として覚えたい
・言語関係の仕事をしているので、言語取得の研究の一環として
・突発性難聴で、いつかは全く聞こえなくなると思う、そうなれば手話を知っていた方がいい
・手話を知っているのと知らないのとでは、聴覚障害者の方が困っているときの対応も違う
・手話を使わない聴覚障害者の方がいると聞いたことがありますが、それでも知っていれば手話を使う人の手助けになるかもしれないから
・コーダだから
・デフファミリーだから
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覚えたくないという人は、「聴者」が多いかと思っていたのですが、その逆で「聴覚障害者」が多かったです。
・中途失聴ですが、ろう者に手話を覚えて!と押しつけられたから覚えたくない (覚えたい気持ちはあるが、押しつけられたのがトラウマ)
・周りに手話を理解出来る人がいない
・日本手話と日本語対応手話の2つを覚えるのにエネルギーと時間を費やしてしまうので、筆談で対応した方が伝わりやすいから
・周囲に手話が出来る人がいないので、覚えても通じる相手がいない
・中途失聴だから手話が出来なくても問題が無い
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編集者は、先天性のろうですが、、、手話を押しつけられたという方の回答に申し訳ないと思いました。
どなたかは、わかりませんが、その押しつけた(?)という方に代わって、嫌な気持ちにさせて申し訳ありません。
私の勝手な推測でしかないのですが、恐らく、その方は「聞こえないから手話で話して!」とか「中途失聴でも手話で話すべきだ」とか「ろうとのコミュニケーションで手話じゃないとだめ!」とか、、、押しつけているつもりではなかったと思います。
確かに、ろう者にとっては「手話」は大事な「言語」です。
でも、いきなり無理矢理覚えろ!みたいに話すのは良くないと思います。
英語が苦手な人に、いきなり長文の英語を早口で話しているのと同じです。
ところで、確かに周囲に手話が出来ない人が多いと、覚えても意味が無い!とか、忘れてしまうし興味がなくなる、ということは手話に限った話では無いと思います。
英語やスペイン語、、、ASL(アメリカ手話)でも、やっぱり使わなかったら忘れてしまいます。
こんな時にどうするか?というと、近くのサークルに通う、気の合う手話の出来る友達(障害に関係なく)を見つける(作る)、鏡をみて自分で練習する!など色々と方法があると思います。
また、手話でなくても筆談や音声認識が出来るアプリなど色々と意思疎通出来る手段がありますので、それらを自分が使いやすいように利用されたらいいかと思います。
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以下の回答は、手話をどのように「言語」として広めていくか?などを考慮した上での回答でしたので、紹介したいと思います。
・日本に生まれて日本語を当たり前に学ぶのと同じように手話も義務教育のカリキュラムの中で当たり前に学ぶ環境であって欲しい。同じ日本人なのに言葉(手話・言語)が通じないのは残念。だから、日本語と同じく手話を学びたい
・メディアも教育も一体になって手話を覚えた方がいい
・幼児期から学童期にかけて基礎となる教育がきちんと受けられていない。手話でも日本語でも学習言語取得として、学業が修められるような環境を整えること、幼児期の聴覚障害者の子供をもつ保護者に対するボシティブな説明や情報保障がなされていない。幼児期は本人による選択が出来ないために、後々の影響を与えた支援が必要だが、現在不十分である。
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本当にその通りだと思います。
特に、義務教育の中で手話で話す授業があってもいいと思います!
以前、アメリカのどこの州だったのかは忘れましたが普通のジュニアスクールに(小ー中学校)聴覚障害者の子供が何人かいて、その子供がいるクラスには手話通訳士が教室の左右に立っていて、子供たちに手話で通訳。
すると、聴者の子供もいつの間にか手話を覚えてしまい、誰が聴覚障害者で聴者かわからなくなるというレベルまでいって手話通訳者とも、手話で会話。
聴者の子供たちは家に帰っても兄弟に手話を教えて兄弟間での秘密の会話は全部手話で、、、という面白い話を聞いたことがあります。
日本でも、このようにすればみんなが手話に抵抗を感じることなく、当たり前に手話があるという社会になればいいなと思います。
幼児期から学童期にかけて基礎となる教育がきちんと受けられていない。手話でも日本語でも学習言語取得として、学業が修められるような環境を整えること、幼児期の聴覚障害者の子供をもつ保護者に対するボシティブな説明や情報保障がなされていない。幼児期は本人による選択が出来ないために、後々の影響を与えた支援が必要だが、現在不十分である。
こちらの回答につきましては、「ろう教育」のところで私の考えを書いていますので、そちらをご覧頂ければ嬉しいと思います。
ろう学校において、どのように子供たちとコミュニケーションをとればいいのか?
ろう学校以外の普通の学校や、支援クラスにおいても、口話か?手話か?
日本のあちこちで、色々と議論が出ていると思います。
口話至上主義のろう学校で高等部までを過ごし、大学を経て社会人として毎日を送っている私としては、口話も手話もどちらも大事だと思います。
ただ、日本語を学習するのに「手話」は絶対に必要だと思います。
最初から手話で「言葉」を覚えるのと、先に発音を覚えて「言葉」を覚えるのとでは時間的にも差があると思います。
手話で言葉をいっぱい覚えると、だんだん自分で自分の気持ちが言えるようになります。
でも、口話に拘っているとその時間がかかった分だけ言葉が覚えられない。
どちらにも、「正解」はないです。
ただ、口話にはどうしても限界があるし、口の動きを読み取るのも疲れるし、聞き間違えない確率は0%ではないということも、知って欲しいと思います。
どんなに頑張っても頑張っても聴者になれるわけではありません。
学業においては、障害がある無しに関係ないと思います。
障害が無くても、真面目に勉強をしない人もいますし。
ただ、聞こえる人は「言葉」や「情報」が勝手に耳の中に入ってくるから色々な事を知ってたりするけど、聴覚障害者は、それが出来ない。
また、本人のやる気と家族の支えと周囲の理解と学校側の熱意が揃わないと出来ない事だと思います。
手話を使うと、親戚や周りの人が変な目で見るかも知れない、、そんなことを考えていたらそれは大間違いだと思います。
何のための手話か?をもう一度よく考えて欲しいと思います。
長くなりましたが、少しでも聴覚障害者への理解が深まりますように、
聴覚障害者同士の誤解がなくなりますように、
また「情報保障」の必要性を改めて知って頂けたら嬉しいと思います。
このコラムを多くの方に読んで頂きたいので、シェア拡散して頂けると大変嬉しいです。
Reem Mohamed
(Special Thanks Reem Mohamedさん)
(2016.11.17)
某テレビ局に行ってきました!色々と見てきた事、要望してきた事をまとめました。どうぞ、お時間のある時にお読みください。 (Reem Mohamedさん)
昨日、某テレビ局に行ってきました! 本当は、管理人の佐藤さんと2人で行く予定でしたが、急遽都合が悪くなられて、私1人で参戦しました(笑)
突然、一人になったので内心では「えっ!どうする!!」と焦りましたが、言いたいことや聞きたいことが出来るチャンスだ!と言い聞かせて(笑)
当日、スタッフの方に初めてお会いしましたが、すごい笑顔の素敵な方ばかりで安心しました!
そのテレビ局員の中に、元々手話通訳士として働いておられた方がおられたため、その方がずっと手話通訳して下さいました。(本当に助かりました) テレビ局に行った目的は、佐藤さんが以前熊本地震でサイトを作られたことでニュースに取り上げられたことがきっかけです。
1)字幕制作について、何か意見を聞きたい
2)聞こえない人を職場の人にも知ってもらいたい
この2つをテレビ局の方から、話があり、引き受けて行ったのですが、字幕制作については想像と違っていてビックリしました。 狭い部屋に6人―8人がいて、そのうちの3人が、耳にイヤホンをつけて映像をみてタイピングして、2人は、字幕をテレビに合わせて調整して放送。
テレビで、話している人が長いときは、タイピングしている人の判断で文を短くするということです。
※例えば、「私は全ての番組に字幕が当たり前についている日が来ることを強く願っています」と話しても、字幕では「私は全ての番組に字幕が当たり前にある日を強く願っています」と言った風に短くなっていることがあります。理由は、場面が変わると字幕が合わなかったりするためです。 でも、生放送では、どうしてもそうはいかないので場面が変わっても字幕が続くもよう。
よく顔(画面の真ん中あたりとか)に、字幕が入っているのは、どうしてですか?と質問しました。
テロップがある場合、どうしても、重ならないようにしたいので、字幕が上にいってしまう。 録画の場合は、なるべく、上にいかないように調整はしているが、生放送だとタイピングしながら調整は難しい。 タイピングが追いつかなくなるため。ということでした。
見やすいように字幕をつけるには、画面を小さくしてその下につけるのが好ましいけど、ずっと画面を小さくするのは、、、。 テレビ局の方でも、非常に頭を悩される問題だということが理解出来ました。
災害などの緊急時には、この3人がもし家にいた場合はどうなるか?と質問をしたら、外部の会社にお願いして打ち込んでもらうということでした。
普段は大きなニュースがあれば真夜中でも待機するということで、最近だとアメリカの総選挙の時だそうです。
私は、タイピングをする人はもっと沢山いると思っていたけど、この3人で一生懸命私達(ろう者)のために字幕を打って下さっているのか、、、と思うと感激しました。 お仕事中でしたので、担当の方の気持ちとか聞けなかったのは残念ですが、非常に早いタイピングだったので、腱鞘炎にならないといいなと心の中でそう思いました。
次に、「聞こえない人とはどういうこと?」をテーマに多くの方と交流会をしました。
私は、ろう者がテレビをみるにあたって感じていること、思っていることを色々とお話させて頂きました。 ろう者の中には、文字が読めない(文盲の人)もいて、手話でなければ意味が分からない人もいる、ということを伝えたら、多くの方が驚いておられました。
だから、どうしても緊急時には字幕だけでは無くて手話通訳も欲しいのです。
手話は「福祉」ではなくて「言語」です、と強く訴えました。
最初からこういう事態に備えて、手話通訳の方を採用すれば、緊急時にはその方が手話通訳をすればいちいち手間がかからないというような事も話しました。 また、災害時で避難場所などで多くのろう者が錯誤する情報取得の遅れによって、1-2週間ぐらい食料や水がもらえることを知らず、あとでやっと知ったというケースが多かったということも話しました。
そこで、字幕だけではなくて、分かりやすい絵をテレビで映し出して欲しいと要望しました。 絵だと、聞こえる人も聞こえない人も一瞬で情報が掴めると思うから、それも合わせてニュースで流して欲しいとお願いしました。
CMについても、多くのろう者がリアルタイムに何を伝えたがっているのかを知りたい!ということを伝えました。 ウェブとかで後で字幕をつけて載せているけれど、そうではなくその場で他の人に尋ねなくても自分で理解したい!と伝えました。
みなさん、あ~~!!そうか!!と。(まさかCMの話題がくるとは思いもよらなかったもようです。) CMは、どうやらスポンサーさんとかその会社の人とも細かい打ち合わせをしないといけないもようですが、字幕が当たり前に入るようになったらいいですね!
最後に、(私の要望がこれで終わりということはないように)テレビを毎日チェックしますね!と話して終わりました!! 私も、字幕制作の裏とか放送の裏とかを知ることが出来て、色々と勉強になる1日でした。 この機会を作って下さった佐藤さん、テレビ局のみなさん本当にありがとうございました。
(Special Thanks Reem Mohamedさん)