インフォメーション
当HPでは手話や聴覚障害への理解のためコラムを充実させていこうと思っています。コラム1は、障害者差別解消法が施行されたのを受けて書いた4月の記事を改めて追加校正しなおしてみました。
コラム1-障害者差別解消法から思うこと/手話そのものが差別の対象だった!?
平成28年4月1日より「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が施行されました。「障害者差別解消法」とも略されていますが、障害を理由とする差別を解消して、障害のある人も平等に生活できる社会づくりを推進するための法律です。
(目的)
行政機関等及び事業者における「障害を理由とする差別を解消するための措置等を定める」としています。
秋田県で作製しているパンフレットによれば差別となる具体例として「災害避難所で聴覚障害があることを伝えられたが、必要な情報を音声のみで提供した。」が挙げられています。また事業者の望ましい取り組みの例示として「聴覚障がいのある人に、ホテルや施設の受付などで、筆談や手話など音声以外の方法でコミュニケーションをとる。」とあります。
取り組みとしてならば「筆談や手話など音声以外の方法でコミュニケーションをとる。」でいいのかもしれません。
でもあえて「なぜ手話は言語、にこだわるのか?」という視点で考えてみたいと思います。
全国で続々と条例が制定されていますが、手話を普及したいなら「手話普及条例」でもいいはずなのになぜ「手話言語条例」なのかということです。
それは「手話そのものが差別の対象」だったからです。
「手話をしているとジロジロ見られる。」
手話をしていればこんな体験はほとんど誰もがしていることでしょう。また昔は「手話は手真似」と教えられ、口話教育の妨げになるとして聾学校では手話が禁止されていた歴史があります。
昨年、元ろうあ者相談員の方の講演を拝聴しましたが、幼いころの体験談として「友達と手話をしていても、人がくれば隠していた。」とお話しされていました。手話を人前で堂々とできる時代ではなかったのです。
しかしそもそも「手話は独自の言語体系を有する言語」であり、言語学者で「手話は手真似です。」と言う人はいないでしょう。2006年に国際連合総会で採択された障害者の権利に関する条約(以下、障害者権利条約という)においても、「言語には 手話その他の非音声言語を含むこと」と明記されています。
言語学では「あらゆる言語に優劣が存在しない」ことが前提になっています。
そのため、世界の言語はすべて同等に扱われるのです。
つまり、日本語であれ英語であれ手話であれ、言語としての優劣はなく同等なのです。
それぞれの言語に優劣がなく同等なのですから、それを使っている者にも優劣はない、つまり「差別の対象にはなりえない」ということになります。私たちは何語であれ、使っている言語によってその者に対し優劣をつけ差別をすることは出来ないのです。
ところで、日本の公用語は何語でしょうか?
実は「日本語を公用語とする。」という法律の条文はなく、裁判所法「第七十四条(裁判所の用語) 裁判所では、日本語を用いる。」とあるのみです。
国民のほとんどが一つの言語(日本語)だとわざわざ何語が公用語なのかを法律で定める必要がないのでしょう。
「社会に出たら手話は通じない・・・」
ろう者(手話利用者)は圧倒的に少数であるがゆえに様々な不便と偏見の対象となっていました。
ですから手話言語法で求めるものは「手話を日本語と同等な言語として認知し」であり、手話言語条例では「手話を言語」として普及する必要性を謳っているのです。改正された障害者基本法には「言語に手話を含む」と明記され、さらに2014年、日本は障害者権利条約を批准しました。
世界にはニュージランドをはじめとして手話を公用語にしている国もあります。
手話のさらなる地位向上がろう者(手話利用者)への差別への解消につながることになるのです。
聴覚障害に限らずですが、差別や偏見は「正しく理解をしていない、正当な評価をしていない」ことから生まれます。
手話秋田普及センターでは「手話が音声言語と対等な言語であること」を広く知っていただけるよう、秋田から発信していきたいと思っています。
(2016/10/14)
(秋田市の秋の夕暮れです。 2016/9/20撮影)
薬師寺みちよ参議院議員(無所属クラブ/愛知選挙区)です。
2016年10月13日の参院予算委員会の審議で安倍首相が手話で「うれしい」をしたという画期的な記事がありました♪
《外部リンク》日本経済新聞/首相 手話で「うれしい」聴覚障害巡る質疑
記事を辿っていくと薬師寺みちよ参議院議員が質疑で手話を取り入れて、それに対して安倍首相が手話を使ったのだと分かりました。
何よりも薬師寺みちよ参議院議員の質疑の内容が素晴らしすぎます(@_@)
薬師寺参議院議員からFBの記事の転載をご了解いただきましたので、多岐にわたる活動の中から手話や障害に関連する記事を中心にご紹介します。
10月13日、本日は予算委員会集中審議です。
今日の話題は「デフリンピックとスペシャルオリンピックス」 そして、質疑で初めて手話を取り入れるという無謀な挑戦をいたしました。
本日は、私のたどたどしい手話と質疑でしたので、長文ですが私の質問内容を一つ一つ書かせていただきます。
まず、障がい者スポーツについて、その経験を総理に尋ねましたが、体験したことはないと。
であれば、その素晴らしさをご理解いただきたいと、車いすバスケ・車いすラグビー・ゴールボールなど様々な障がい者スポーツを体験し、魅了されたことをお話しいたしました。
そしてタイムリーな話題といえば、「全国障がい者スポーツ大会」です。
今年は岩手で22日から開催されますが、今回で16回を数えるこの大会が各県で持ち回りで開催されることで、受け入れた県のバリアフリーが進み、地域の方々の障がいへの理解も進んでいることを大臣からご報告いただきました。
塩崎大臣へは、障がいや障がい者の概念が時代遅れなのではないか、制度疲労を起こしているのではないかと問題提起をいたしました。
その例えとして、別名小人症と呼ばれている「軟骨無形性症」を取り上げました。
手足が短く身長も成人で130センチ程度、全身に様々な疾患を合併している方もいらっしゃいます。
実は、パラリンピックの参加資格に低身長が含まれているのですが、障がい者手帳は低身長だけでは取得できないのです。
私もリオパラリンピックの水泳の会場で、この疾患の外国人アスリートを応援いたしました。
そろそろ厚労省も医学的モデルではなく、社会的モデルで障がいや障がい者を捉える時期ではないのかと再度お願いいたしました。
ここからは本日の本題です。 「デフリンピックとスペシャルオリンピックス」 2020年のパラリンピック開催に向け、障がい者スポーツも以前より目にする機会が増えました。
しかし、残念なことに、パラリンピックの陰に隠れて忘れ去られてしまいそうな大会や活動もございます。
それが「知られざるオリンピック」と称されることが多い「デフリンピックとスペシャルオリンピックス」です。
聴覚障がい者はパラリンピックに出場することができず、聴覚障がい者のためのデフリンピックが開催されています。
知的発達障害者もパラリンピックの競技の一部に参加が認められているだけで、パラリンピックとは別にスペシャルオリンピックスが開催されています。
10年前に内閣府が行った調査においても、デフリンピックという言葉は2.8%、スペシャルオリンピックスは12%の方々にしか理解されておらず、まだまだ一般的とは言い難い状況です。
そのため、周囲から理解を得られず、聴覚障害や知的障がいをお持ちの皆さまがスポーツ活動を行うにも十分な協力が得られにくい現状があります。
文科大臣はこの現状をご存知で、さらに周知啓発を行っていきたいとご答弁いただきました。
現在、パラリンピックは国家プロジェクトとして国や企業を上げて 開催のムードが高まっております。
障がい者スポーツの普及・啓発や経済的な支援などの施策も強化されておりますが、残念ながらその支援はパラリンピックに偏りがちです。 聴覚障害者は、お住まいの地域のスポーツクラブに参加をことわられてしまうことも少なくありません。
全国のスポーツ施設やスポーツクラブに聴覚障害者が日常的にスポーツ活動に参加できるよう、振興対策を講じ必要があると思われます。
文科大臣より、ガイドラインをさらに普及し、障がい者差別解消法にもある様に、疾患や障がいのみでスポーツ施設などの使用を断ることはできないということをさらに周知徹底するとご答弁いただきました。
デフリンピックは選手が力を競うだけではありません。
その大会を通して社会へ聴覚障害の理解を啓発していくことに、大きな意義があります。
デフリンピックは、1924年パリ大会から長い歴史を誇りますが、夏季大会・冬季大会共、日本で開催されたことが今まで1度もありません。
昨年の冬季デフリンピックでは、金メダル3個獲得と、輝かしい成績を上げております。
聴覚障がいに対する理解を進めるためにも、総理が先頭に立ってデフリンピックを日本に招致していただきたいとのですがいかがでしょうか?とお尋ねいたしました。
具体的な相談があれば、内容に応じてしっかりとバックアップをしていきたいと「手話を交えて」ご答弁いただきました。
さらに、スペシャルオリンピックスについてもお尋ねしました。
オリンピックという名称がついている大会の中でもこのスペシャルオリンピックスだけはオリンピックスとSが最後についております。
このことを関係者の皆様はとても大切に思っていらっしゃいますが、それは何故なのか、文科省はスペシャルオリンピックスの活動をどの様に応援してくださっているのか、大臣ご説明いただけますでしょうか?
大臣からは、Sの意味と少々頼りない文科省の関わりが紹介されました。
スペシャルオリンピックスはオリンピックの様に競技会だけを指し示す言葉ではありません。
スポーツを通じた知的障害者の自立と社会参加の促進、及び知的障害のある人たちを生産的な市民として認め受容する社会を実現するための活動です。
世界・日本・地域で様々な活動が行われていることを示すため、Sがついているのです。
知的障害のある人たちに年間を通じて、スポーツトレーニングと競技の場を提供することで、知的障害をお持ちの皆さまにも、それを受け入れた地域社会にも大きなプラスの効果をもたらすことが分かっております。
残念ながら日々の活動はボランティアやご父兄に支えられているため、練習場所はない、指導者がいないなど、活動が徐々に縮小されている地域もあるようです。
この様な活動は、制度が出来、国の予算がつけば成功するものでもありません。
身近な地域の皆さまの地道な支援があって、初めて成り立つムーブメント、社会運動です。
最後に、総理、この様なムーブメントこそ、主導していただきたいと思いますがいかがでしょうか?とお尋ねいたしました。
総理からは必要な活動なので、応援するとの答弁も。
我々国会議員も大会があれば挨拶に行くだけではなく、このような地道な地域の活動を邪魔にならぬように応援することは可能だと思います。
スペシャルオリンピックスはユニファイドスポーツ、障害がある人とない人が一緒にトレーニングや競技会にチームを組んで参加する活動に取り組んでくださっております。
是非、皆さまも一緒にスポーツに参加して欲しいと訴えました。
障がい者は知らないのではありません。
知る機会を与えられていないだけです。
障がい者はできないのではありません。
挑戦する機会を与えられていないだけです。
貧困の格差も大切ですが、この様な情報の格差にも着目して今後とも施策を進めていただけることを願い、質問を終わらせていただきました。
私の拙い手話で、なかなか上手く表現できなせんでした。
終わってみるとあっという間の20分でした。
手話の質問は3問。
間違いばかりの手話でしたが、少しでも聴覚障害の皆さまへ私どもの思いが伝わればと挑戦させていただきました。
これからも手話の学習も続けてまいります。
今回も皆さまから応援いただき、本当に心強い思いがいたしました。
ありがとうございました。
御礼
先日の予算員会を受け、「大変なことになっている!」という位の反応をいただき、ありがとうございます。
私自身、思いもよらぬことで、ただただ驚いております。
今まで私のFBやブログを読んでいただいている方であれば、障がい者スポーツは今回初めて取り上げたことでもなく、デフリンピックやスペシャルオリンピックスの件は、今年初めの予算委員会でも触れたことをご存知だと思います。
一医者として災害対策委員会では障がい者の避難や避難所の在り方について、一産業医として厚生労働委員会では障がい者雇用や障がい者認定の在り方について、一市民として障がい者に対する差別偏見の解消について、国会の質疑でも何度何度もも取り上げてまいりました。
しかし、今回も皆さまからメッセージをいただいております様に、何も変わってはいないのです。
政府は当事者の声を聴いているのか! と言いたいくらい、他人事の様に「取り組みは進んでいる。制度はある。予算もとった。」と冷たい反応を繰り返すばかり。
動かぬこの現状に2020年パラリンピックというゴールに向かい、いいえ、利用し、本当の意味でのバリアフリーを確立したい、文化を育てたいと本気で考えております。
もともと耳鼻科医として聴覚障害をお持ちの患者様との接点が多かったこと。
産業医として一番コミュニケーションが難しく、上手に思いを組むことが出来なかったデフの従業員の方との会話の経験。
スペシャルオリンピックスで活動している友人との関わりなど、代弁者としてはまだまだ頼りない私ですが、今度こそ私のホンキ度を他の議員や総理、大臣に理解して欲しいと、手話という表現を取り入れてみました。
以前から、国会放送を見ても字幕が無いので何を言っているのかわからず困っている、興味が持てないと、聴覚障がいを持っている友人から政府の配慮の無さについてお叱りを受けていたこともございます。
「総理の方向を見てやってはテレビからは何やっているのかわからないよ」という助言をいただき、テレビに映る方向へ向かって「つたない」手話を披露いたしましたが、こんなに反応を頂けるとは思ってもいませんでした。
皆さまからのメッセージを感謝いたしております。
私が考えていた以上の問題が山積している事実、色々な活動が全国で展開されている頼もしさを、これからどの様に我々国会議員がサポート出来るのか、皆で相談し、一日も早く行動に移してまいります。
今後ともご指導いただければ幸いでございます。
本当にありがとうございました。
今日は、皆さまへ嬉しいお知らせが二つございます。
皆さまは、日本障がい者サッカー連盟(JIFF)をご存知でしょうか?
これまで、障がい者サッカーはその障がい毎に、切断障がい、脳性麻痺、精神障がい、知的障がい、電動車椅子、視覚障がい、聴覚障がいの7つの団体がバラバラに活動しておりました。しかし、だれもが、いつでも、どこでも、身近で、安心・安全にサッカーを楽しめる環境を造り出すために、日本サッカー協会(JFA)協力の基、障がい者サッカー競技団体を統括する団体、障がい者サッカー連盟が、2016年4月1日設立されました。
サッカー好きの国会議員も黙ってはおられぬと、「障がい者サッカーを応援する国会議員連盟」を設立して応援しようではないかとその設立に向けての会合が持たれました。私も是非協力させていただきたいと会合に参加し、JIFFについてのお話を伺ってまいりました。やはり、障がい者サッカーの置かれた状況では課題が山積しており、これから支援出来ることは何か、議員連盟の中で話し合う必要性があることが確認されました。
以下、日本障がい者サッカー連盟のHPに動画がございます。
是非、皆さまもご覧いただき、一緒に応援いただければ幸いです。
http://www.jiff.football/2
また、本日、全日本ろうあ連盟の理事でいらっしゃる久松事務局長、倉野スポーツ委員会事務局長が議員会館へいらして下さいました。 先日の予算委員会の質疑について意見交換をさせていただき、今後の展開についてもご相談いたしました。
私一人では小さな力しかございません。しかし、多くの議員から支援したいとのお声がけをいただいております。
「デフリンピックを知らなかったが是非応援したい」,「デフスポーツをしている仲間がいるが、どの様に応援したらよいのだろうか」
これからは同僚議員の力を借り、デフリンピックの啓発と日本開催実現に向け、私も走り続けてまいります。
これからもますます手話を学ぶ楽しさが増してまいりました。来年は夏季デフリンピックはトルコ・アンカラ(サムスンに変更になったと情報をいただきました)での開催です。少しでもお役に立てる様に、一人でも多くの議員へ働き掛けてまいりたいと思います!
今日も、皆さまに嬉しいお知らせがあります。 本日開催された「障がい者スポーツ・パラリンピック推進議員連盟」で、『スペシャルオリンピックス支援ワーキングチーム』が設置されました!
スペシャルオリンピックス日本会長の三井さんも議連にいらしていただき、ご挨拶下さいました。 また、その際に事務局長の馳先生から「デフリンピック支援についても、今後整備していく」旨の発言がございました。
私の夢が一つ一つ実現していく・・・嬉しいですよね。他の先生方とも思いを共有しながら、多くの先生方の支援もいただき、障がい者スポーツ支援が日々前進しています。これは東京オリンピック・パラリンピックのお祭り騒ぎのためではありません。スポーツによって社会的な課題を解決していくために、今、このタイミングを逸してしまう訳にはいかないのです。
私の持っている力などありません。 しかし、政治にしか動かせないものもあるのです。 馳先生や笠先生、小松先生に朝日先生、多くの力は一つになってそれぞれの役割を大切に、その活動の幅が拡がってまいりました。 専門家・研究者の皆さまだけではなく、パラリンピアンやアスリート・サポーターの皆さまも参画いただき、多角的な施策に成熟させなければなりません。 さあ、ここからです。 これからの展開がますます楽しみです!
11月8日、全日本ろうあ連盟の理事でいらっしゃる久松事務局長、倉野スポーツ委員会事務局長、デフリンピックの日本選手団 総監督でもいらっしゃるスポーツ委員会 粟野国際事業部長 と、前文科大臣の馳 浩先生をお尋ねいたしました。
目的はただ一つ、デフリンピック支援策を検討するためにも、まずデフリンピックを知っていただくこと!
今日は、資料を使い、手話通訳者を交えて意見交換をさせていただきました。 馳先生からは、今後の支援策について、いくつかのご提案をいただき準備に入ることになりました。
これが実現できれば、デフスポーツだけではなく、聴覚障害への理解も大きく前進することになります。
会議の最後に、馳先生も「ありがとう」という手話を覚えてくださいました。お相撲で勝ったお相撲さんが懸賞をもらう時に「心」という字を空中に書きます。手話のありがとうは、その動作を象ったものだと言われています。まさに、心を込めてありがとう という意味です。皆様も日常で使ってみられてはいかがでしょうか?手話での会話は心が和みますよ。
11月15日、本日の厚労委員会は年金法案の2日目。今日は障害年金について審議いたしました。
年金とは、年をとった際にもらえる「老齢年金」だけだと思っていませんか?
年金制度には、現役世代にも関わらず、障害になった時に役に立つ「障害年金」という制度もあるのです。 しかし、厚労省の調査の結果、一般では障害年金の制度を4割以上の方が知らないという結果が出ているのです。
身体障がい者手帳をお持ちの方には広報しているとの答弁をいただきましたが、実際、身体障がい者手帳を持っているが障害年金を受給していない方のサンプル調査では、○障害年金の制度を知らなかった (19%)○障害年金に該当しないと思った (13%)○手続き方法がわからなかった ( 5%)との結果がでています。
このうち、「障害年金の制度を知らなかった」、「手続方法がわからなかった」などと回答した 102 人に戸別訪問などにより年金請求の勧奨を行った結果、27 人が障害年金を受給することになったのです。
障害年金を受給できる可能性がある障がい者手帳をお持ちの方でさえこの制度を知らなかったり、制度が複雑で制度を理解できていないことが大きな問題であることを大臣とも共有できました。
しかし、またその広報が悪い。
日本年金機構のウェブサイトを見て下さい。
http://www.nenkin.go.jp/index.html
ここには、字幕付手話通訳付きの「障害年金を説明した動画」が見つかるはずなのですが、皆さまは分かりますか?
回答は・・・右下の「年金のはなし」という所をクリックしてください。障害年金ガイドという動画を見る事ができます。
これでは探せないですよね。(それとも私だけでしょうか?)日本年金機構のHPを障がいを持った皆さまにもわかりやすく作り変えていただけると、大臣がお約束いただけました。
さらに、障害年金制度と障害者手帳の制度は別物です。障がい者手帳の対象外でも(例えばがん等の疾患でも)障害年金を受給できる可能性があるのです。
しかし、ここでもやはり制度が周知徹底されていないために、申請が行われていない方も多い事が予想されます。今後、医療者へも障害年金制度の研修などを徹底していただき、対象者への広報に一役買ってもらえるようにお願いしました。
備えあれば患いなし。現役世代の年金とも呼ばれる「障害年金制度」。もしもの時に備えるためにも、しっかりと保険料を納めておく必要があります。年金保険料未納者を減らし、将来の無年金者を作らぬためにも、もっと年金制度のメリットを知ってもらう努力が必要だと訴え本日の質疑を終えました。
(*追記:11/18のFBより)
先日の厚労委員会の質疑を受け、早速、日本年金機構が動いてくださいました。
障害をお持ちの皆さまにも情報を分かりやすく伝えるために、すぐにできることとして暫定的ですが、日本年金機構のHPの左に、手話・字幕付き動画というバーナーを張ってくださいました。
http://www.nenkin.go.jp/index.html
いかがでしょうか?
また、以下、ファックスにより相談窓口も分かりやすく更新していただけました。
http://www.nenkin.go.jp/section/soudan/guidance/fax.html
このHP自体が分かり辛く、今後、抜本的な見直しが必要かと思います。どの様なHPであれば使い易いのか、工夫してほしい点など、皆さまからのご意見をいただけると幸いです。日本年金機構の皆さまも迅速な対応をいただき、本当にありがとうございました。
11月17日、厚労委員会。
厚労省に対し、障がい者への配慮が欠けていることを問い質し、少々ですが、情報保障を前進させることができました!
今月11日に開催された社会保障審議会の障害者部会において、車椅子にて出席予定であった委員が会場に入れず出席を断念したという報道がございました。 共生社会を先導すべき厚労省であってはならぬことです。
前回の委員会においても、障がい者が「がん」に罹患した際に抱える問題について、厚労省では議論したことがないとわかりました。 そこで、先日「がんば聾」の皆さまから伺った話を、同僚委員とも共有しようと披露いたしました。
点滴で手話が使えず言語を失ってしまう苦しみ、医療者のマスクで表情が読み取れなくなってしまう不安、3分診療なのに手話通訳を挟んでの会話は時間がかかり十分な情報交換ができないこと。
「電話ができないなら抗がん剤治療ができません」と治療を断られた聴覚障害をお持ちの患者さん。 同僚委員だけではなく、大臣や政務も真剣に聞き入ってくださいました。
医学教育や看護教育等、医療関係者の育成課程においても、障がい者に接する機会を頻繁に作り、障がい者が不安を抱えず医療を受けられる心遣いについて学びを充実させると、文科政務官からもご答弁いただきました。
しかし、これだけではありません。 厚生労働省では、障がい者への配慮に欠ける施策がしばしば見受けられるのです。
例えば、ねんきんダイヤル、過重労働解消相談ダイヤル、自殺対策の相談窓口などの情報は、電話番号のみが記載されています。 中途聴覚障害の方から指摘され、私もハッといたしました。
「ダイヤルだけでは、電話できない聴覚障がい者は相談するなということじゃないか。」
今後は、聴覚障がいの方々を含め、皆が利用できるように、FAX・メールの相談窓口も併記する旨、大臣からお約束いただけました。
また、内閣府の障害者政策委員会では、正式な議事録が確定するまでの間、字幕・手話を用いた動画を内閣府のウェブサイトで公表しています。
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/seisaku_iinkai/
しかし、その取り組みは、他の省庁の審議会には広がっておりませんでした。 今回の事件を受け、この事件の発端となった厚労省の「社会保障審議会の障害者部会」でも、動画による音声・字幕に手話通訳をつけての情報保障を行っていただける事も、大臣がお約束くださいました。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/shingi-hosho.html
… 次回からここで見られるはずです。
皆さまから頂いたご意見や要望が、厚労省の理解で少しずつですが前進できたこと、私も嬉しくてたまりません。
全てが解決できる訳ではございませんが、障害によって起こってくる具体的な課題を、これからも議論させて頂きたいと思います。 ご協力いただきました皆さま、本当にありがとうございました。 今日はホッといたしました。
薬師寺みちよ前参議院議員のFBはこちらから↓
(Special Thanks 薬師寺みちよ参議院議員)
FBで友達になったReed Mohamedさんの体験談や思いにとても共感しました。彼女は日本人のろう者ですが、夫がエジプト人です。
DeafLife_Brigeというサイト(有益な情報が満載です)のコラムからですが、多くの人に読んで欲しいと思いました。許可をいただきましたのでNo1~No8まで転載してご紹介します。
Reem MohamedさんのコラムNo1「ろう学校幼稚部」
(2016.02.05)
私は、普段は会社に勤め、時々中近東情勢をブログに載せています。
私がろう者ということを知らない方からは、「ジャーナリストですか?」という質問を頂くが、そういう風に思われていることはとても嬉しい事であります。
しかし、残念ながら堂々と胸を張って「はい!そうです!」なんて言えない(笑) そんなことは、さておき、自分の事を書いてみようと思います。
私は、先天性風疹症候群による先天性の聴覚障害者。
つまり、母が私を妊娠中に風疹にかかってしまい、それが原因で私の耳が聞こえなくなったということである。
この事実を知っていたのは、父だけだったらしく母が入院中に医者からの告知を受けたそうだ。
母は、産後までずっと全くこのことを知らずにいたらしく、ただ祖母だけがなんかこの子はおかしいと怪しんでいたそうだ。
やがて、大きな音に反応しないということに、母は気づき色々な病院に連れていっても結果はどこも同じだったそうだ。
「手術することは出来ません。一生治りません。」 母は、私を道連れにして自殺しようとまで考えるほど打ちのめされたと、後で教えてくれた。
三歳でろう学校の幼稚部に入学すると、そこにはもう言葉では言い表せないほど厳しい壮絶な戦いが待っていた。
この頃の、私と言えば補聴器になれずつけるのを嫌がって投げていたらしい。。。。 この時は、別に「口話至上主義」ではなく、小学生から高校生のお兄さん、お姉さんは手話で会話をしていたから、当然子供たちも手話で会話をしたいと思うわけである。
しかし、私たちの時に手話禁止になったのである。
担任の先生が、親たちに「お父さんお母さん、大変心が痛むと思いますがこの子たちの将来を見据えて考えて欲しい、今後、手話が使える人が増えたとしてもわずかに過ぎない、この子たちがコミュニケーションで苦労すると思います、だから手話を使わないで下さい」的な事を話され、それからというもの、発音の訓練、聞き取りの訓練、読み取りの訓練が始まった。
家に帰ってからもそれは同様で正しい発音が出来るまで泣いても何回も繰り返し繰り返し言わなければならなかった。
「なんで出来ないの!」ってぶたれたこともある。
絵日記を毎日書くことが習慣で、文章も助詞を間違うと「ちがうでしょ!!!」って鬼のような顔で言われたこともあった。
大泣きしても、その訓練は終わることは無かったから、親をたたいたりして癇癪を起こして物を壊したこともある。
※あとで祖母が「あんたのお母さんはな、ここに来ては泣いていたんだよ、なぜここまで厳しくしないといけないのかって」って教えてくれたので、父も母も本当は辛かったんだなって思ったのです。
しかし、訓練の時間が終われば楽しいこともいっぱいあったので、それだけは幸いだったと思う。
父と、車に乗って旅行に行ったりそこらへんの子供と同じように買い物に行ったり家の近くが海だったので、色んな魚や貝を捕ったりしたこともあった。
私は、昼までろう学校の幼稚部に通って、家に帰ったら今度は近くの公立の保育所に通うというコースだったから、保育所でのクラスメートとは言葉が通じないことからしょっちゅう喧嘩をしていたらしいが、都合の悪いことは忘れるというもので覚えてなかったりする。(冷や汗)
でも、今でも当時のクラスメートとは帰省すれば会って話す事もある。
保育所の時の友達と一緒に同じ小学校へ行くものと思っていたが、親はろう学校の小学部にそのまま行った方が望ましいと考えて、ろう学校の小学部へ。
そのまま、高等部までずっとろう学校で過ごし、大学に進学して国際比較文化や国際情勢などを専攻。
この時の話は、あまりにも長すぎるので後日に書こうと思う。
今では、手話も出来ますが普通に読み書きも出来て会話が出来るので親に感謝の気持ちでいっぱいです。
もし、親が心を鬼にして訓練をしてくれなかったら話せないままだったかもしれません。
ところで、よく、子供をろう学校に入れるべきか?普通の学校に入れるべきか?で揉める話を耳にしますが、大変難しい問題だと思います。
なぜなら、そこに「正しい」か「間違い」かという答えは無いから。
特別支援学校、ろう学校とも色々と繋がりながら、お子さんの聴力、学力、理解度なども合わせていかれたらいいと思います。
私は、ろう学校に通っていなかったら大学に行けるレベルに達していけなかったと自分の経験からそう思っています。
(あくまでも、これは私のレベルでという話です) インテグレーションも、(普通の学校へ行く)並大抵の努力がなければ、ご両親や周りの方のサポートがなければ決して楽では無いと思います。
特に、普通の学校では、中学生になると授業の内容も困難になり小学校と比べてスピードも早くなっていくので、理解が出来ないまま進んでいくとどんどんわからなくなり、孤独感を感じていくという話も聞きますので、その点では、ご両親の方、先生のみなさま、さりげなく今はどのあたりを理解出来たかな?など尋ねてみてください。
「ろう教育」についても、こちらのコラムでまた書かせて頂きたいと思います。
長くなりましたが、今日はこの辺で。
何か、質問や聞きたいことがありましたら、遠慮無くメッセージを下さい。
Reem Mohamed
コラムNo2「口話法って何?どんな訓練?」
(2016.02.08)
先日のコラムを読んで頂き、ありがとうございました。
我ながら、拙い文章だな、と読み直しては反省しきりです。
ところで、いくつか質問を頂いたので、今日はこの質問とその回答を載せようと思います。
そのあとに、聞こえないお子さんをお持ちの健聴のお父さん、お母さんにぜひ読んで欲しいなと思うことがありますので、そちらもぜひご一読下さい。
<質問> Reemさんの聴力はどれぐらいですか?
<回答> 110DBです。スターキーの耳穴式の補聴器を両耳に装備しています。 補聴器がなかったら、戦闘機が飛んでいるのもわからないです。
※デシベルについては、こちらをご覧下さい。 http://macasakr.sakura.ne.jp/decibel.html
<質問> 口話での教育とはなんですか? またどのような訓練がありますか?
<回答> これは、各地のろう学校によってまちまちですが、私の経験を書きます。
簡潔に書きましたが、分かりづらかったら申し訳ありません。
発音の訓練ですが、まず母音の「あ」「い」「う」「え」「お」を徹底的に訓練します。
これがうまく出来ないと、子音が加わった発音がうまく出来なくなるので。
次に子音の訓練になりますが、舌がどういう風になっているかを絵か先生が口の中を見せてくれてそれを真似してやるというパターンにいきます。
まず、子供たちの手をとって、先生がその手を胸に当てます。(セクハラでは無いw)
そして、振動と口の形で子供たちは学びます。
「か」行は、人差し指をのどのところに持っていきます。
「さ」行は、片手を(甲を上にして)唇から手前のところまで志村けんのアイーンの逆パターンに流します。
「た」行は、舌の上に間違っても飲み込めるような薄い溶けるお菓子を置いて、それが上にくっつくようになるまでやる。
「な」行は、人差し指を鼻に当てます。鼻に振動がくるまでやります。
「は」行は、縦に切ったティッシュの紙切れ(幅は2cmぐらい)を口の前に置いて、それが息によって前に動くことを理解して、そのようになるまでやる。
「ま」行は、ほっぺたに手を当てて、そこが震えるかどうかで繰り返しやる。 「や」行は、唇の動き、舌はどこにあるか?を見て真似していく。 「ら」行は、舌の動き、舌の先に前述のお菓子を置いてそれがどこに当たったかを言いながらやる。
「わ」「を」「ん」これは、唇の動きとか、どこが震えているかを指で当ててやる。
発音の訓練は、このような感じで次が「聞き取り」の訓練。
これは、先生が黒板に例えば「りんご」「みかん」「バナナ」とか絵と文字を書いて、唇を紙で隠して何を言ったかを当てる練習。
間違えれば、正解が出るまで続きます。
「言葉」をどのようにして覚えたのか?というと私の家には、あらゆるものに言葉が書かれた紙が貼ってあって、例えば、壁には「かべ」、花瓶には「かびん」。
本当に貼り紙のない所って無かったように思う。
全部、本当に理解出来たのか?と母も怪しい、、、、と思っていたと思う(笑)
コラムにも出ました、絵日記は、小学部に入るまで続き、何十年か経ってこの絵日記の存在を知った先生に後輩のために、譲って欲しい!と言われ全部譲ったので手元にはないです。
まず、母が「いつ」、「だれ」○「どこ」○「なに」○「どうした」というような単語が書かれた紙を貼っていきます。
その紙の下に私が答えを書きます。
○は、「が」「は」「を」「に」とかの助詞が入りますが、これも自分で考えて書かなくてはいけません。
間違うと、「違うでしょ!」「これじゃない!」と。。。
自分の気持ちも「楽しかった」「いやだった」「悲しかった」など、これも考えて書かないといけないので、絵と感情があっていなかったら、やり直しになります。
何回も間違えると、涙が出てもうやだよ!書きたくない!!て言って鉛筆を投げては絵日記も投げていたような。。。
絵も当然描くわけだから、出来上がるのに2時間か3時間はかかっていたと思う。
あとは、図書館にほぼ毎日のように通っていたため、(私が絵本が好きでどうしても毎日のように行きたがっていた)これも大きかったと思われる。
最後に、 上とは別ですが聞こえないお子さんをお持ちの健聴のお父さん、お母さんにぜひ読んで欲しいなと思うことを書きたいと思う。
私には、5才下の妹がいます。
妹は、大変頭がよく数学や物理に大変強く何でも出来る子でした。
もちろん、親の言うこともきちんと聞いていて、反抗期というその言葉とは全く無縁で 私の親は妹のことをよく出来た子だ!と自慢していたように思います。
しかし、中学生になると突然体調を崩すようになり次第に学校に行くのが嫌だ!というようになりました。
(いわゆる登校拒否ですね) 親も、この出来事にどうして?!なんで?!と妹に何回か話をしたり気持ちを聞こうとしたりしたけど、結局 妹は話しませんでした。
私は、当時 県外に住んでいたのである日親がいない時期に家に帰ったら妹がいたので、二人きりになることはあまりなかったので、「なんでだ?お父ちゃんもお母ちゃんも心配してるぞ!なんかあったのか?」って尋ねました。
すると、妹はそのうちに重い口を開けて 「うるさいんだよ!お姉ちゃんばかりいい子ぶって!!」 「なんでわからないの!!お父ちゃんもお母ちゃんもお姉ちゃんばかり見て、何があってもお姉ちゃんが、お姉ちゃんが!!!そんなことばかり!」 「例えばお姉ちゃんが門限破って遅く帰るとお父ちゃんは家の外で仁王立ちして待って、そして怒るじゃん!なのに、自分が遅く帰っても怒ってくれない!あなたは聞こえるから大丈夫だね!」 「お姉ちゃんは聞こえないんんだから!」 「そんなことばかり!!!」 かなり衝撃的で、こっちがガツンと斧で頭をやられたような感じだったのを覚えています。
このことを、親に私から話したところ、2人ともショックを受けていました。
自分では、平等に愛しているつもりが妹にはそう感じていなかった(受け取れていなかった)ということ。
それから、親と妹の間で話が行われたようですが、どういう風になったのかは私はその場にいなかったのでわかりません。
が、妹が今までそんな風に我慢というか、気持ちを抑えてきたことに少なからずともショックだったので、こういう事があったということをろう学校で講演があるたびに、保護者の方や先生たちにも話しています。
でも、妹はそれから学校に毎日通うようになり、難関の学校に進学して今では立派なエンジニアです。
このような事がありましたので、どうか思い当たる方がいらしましたらぜひお父さん、お母さん今のうちに話し合って改善していかれてみてください!!
Reem Mohamed
コラムNo3「小学部~高等部の思い出」
(2016.02.10)
ろう学校のことを、法令上では、特別支援学校というが、その名称をつけない学校もある。
ここでは、混乱をさけるためにも、「ろう学校」で記述する。
※漢字では「聾学校」と明記する。
ろう学校には、幼稚部、小学部、中学部、高等部、「高等部の専攻科」があり、入学資格はそれぞれ幼稚園、小学校、中学校、高等学校、「高等学校の専攻科」に準じている。
国立・公立・私立の聴覚障害者を対象としている、ろう学校は全国で106校ある。
さて、私のことを書こう。
私が小学部に入学した時、普通の小学校へ転向した同級生もいたのにも関わらず、ろう学校の中で一番人数が多い学年として注目されたような気がする。
小学部でも、相変わらず発音の練習や聞き取りの練習などは続き、一般の小学生が文字を書いて覚えていくとか、算数の勉強をしていくとか、そのような勉強が全くなかった。
2年か、3年の時だったと思う、私たちの親が集まって先生たちに強く抗議をしたらしい。
私たちの親は、親同士での団結力も他の学年の親よりもとても強かったと思う。
そして、自分の子供ではないのに、同級生が発音が悪かったらその都度、「今の発音悪かったよ?もう一度「さ」って言ってみて?」とかそういう注意をしてくれる親もいたから、それだけ、子供たち全員が自分たちの子供という気持ちも強かったのだろう。
先生たちの中に、ろう教育に熱心か、その専門の知識をもっている先生が全くいなかったというのも、あるかもしれないが、親たちはものすごく怒ったということを成人してから知った。
先生たちも、親たちの剣幕に驚いたらしいが、何のために「先生」になったのかを改めて考えさせられた日でもあった、と教えてくれた。
私たちは、そんな事があったとは露知らず、ある日、いきなり教科書を机の上に開いて普通に国語、算数、理科などの勉強が始まり大変戸惑ったものである。
しかも、ベースも早くあがるから、どこかで誰かが内容が全く理解できずに取り残されてしまったということも、何回もあったと思う。
でも、突然だったし、それぞれ理解できるスピードが違うわけだからマイペースな人は大変だっただろうなと、今も振り返ってそう思う。
小学6年になると、当然中学部への進路を考えるわけだが、その時にもう中学を出たらどうしますか?という話もあった。
私が、小学部にいた時、高等部は木工と被服という専門の学科しかなかった。
小学生ながら、なんでこの学科しかないの?嫌だ!そんな学科行きたくない!!と思っていた。
そして、出来たら、大学にも行きたいなと密かに思っていた。
中学部にあがると、部活にも入らないといけない、授業のスピードはあがっていく一方で、内容もますます難しくなってくるし、本当に学校へ行くのも憂鬱だったと思う。
私は、国語、英語、社会(歴史、公民)はかなり得意なほうだったけど、数学がとても嫌いで数学なんか無くなればいい!と本気で思ったことがある。
中学2年の時に、同級生みんなで「普通科」を作ってもらおう!ということで先生、校長先生にお願いをした。
中学3年の秋だったと思う、教育委員会から許可が出て「普通科」ともう一つの学科が新設され、木工と被服はもう一つの学科に一部移行された。
こうして、高等部受験は「普通科」の第一期生を目指して受けたのだが、そのあとは本当に色々な意味で大変だったと思う。
大学や専門学校などに、(私がいた)ろう学校からは誰一人として出たことがなかったから、みんな本当に大丈夫なのか?これで、大学にいけるのか?など色々な事を考えていたと思う。先生たちの中にも、大学なんて行けるわけがないよ!という人もいたから、それだけ未知の世界だった。
そして、校長先生が密かにお願いしてくださったのか、教育委員会の方が配慮してくださったのか、それはわからないが、県内の進学高校から何人か先生が転勤してこられた。
今まで、会ったことがないタイプの先生ばかりで、先生たちの方もろう学校に初めて転勤になってお互いに動揺したと思う。
普通の進学高校に通われた人なら、分かると思うが、中学部であれだけ苦労したスピードが更にアップして、気が付けば15ページ以上も進んでいるからうかうかしていられなかった。
私はと、全国模試の成績が悪かったりして先生に呼ばれて怒られるということも一度や2度ではなかったと思う(笑) 特に、数学でどうしても成績があがらず、ひそかに塾に通っていた。中間テストや期末テストなんて、本当に地獄だと思った。
試験前の勉強をサボって、どっかへ遊びに行くとよく母と喧嘩になっていたが、父には、いつも「頼むから0点取ってくれ!0点取ったら、何かいいものをあげるからさ!!」と言われたものだった。(苦笑)そういわれると、俄然やる気が出てくるものだった(笑)
娘の性格を良く知り尽くした上での、父なりの励まし方の仕方だったとは思うが、実際に言われる方は悔しいのである(笑)
私の幼馴染の何人かが、県内でも有名な進学高校に通っていて東大とか京大に行くためのコースを選択していたので時々、ノートを見せてもらったことがあるが、本当に変わらない内容だったから、今でも我ながらよくついていけたな、、、と思う。
2年の時には、何回も相談して志望の大学を決めて、3年には泣いても笑ってももうこれが最後だという気持ちで大学受験に臨み、合格し、そのまま志望の大学に進学しました。
長くなりましたが、「夢」を叶えるためには私の場合、本当に環境や多くの人たちの支援があってこそ、出来たものです。
大学に行く人が今までいないのに、、、というその壁を打ち破ってくれた当時の先生や校長先生には感謝しても感謝しきれない気持ちでいっぱいです。
ところで、余談ですがあれほど大嫌いな数学や物理や化学にもう関わる事はない!と思っていたのに、今はそれらが必要な仕事に就き、本当に人生とはわからないものです(笑)
高校時代に、もっと真面目に勉強すればよかったと後悔することもしばしばです(笑)
Reem Mohamed
コラムNo4「"ろう教育”における私個人的な考えも含めて」
(2016.02.26)
今日は、「ろう教育」について私の個人的な考えを含めて書こうと思います。
「聴覚障害者」といっても、全てを一括りにすることは出来ません。
世の中、思考、考え方、性格などが異なる千差万別の人間がいます。
聴覚障害者も、聞こえのレベルが軽度だったり中度だったり高度だったり、そして二重以上のハンディをもっているという人もいます。
私は、「ろう者」ですが先に書いたように「口話史上主義」の時代のろう学校で過ごしたので、「手話史上主義」というタイプの方とは全く異なります。
聞こえのレベルはもとより、育った環境、家庭や学校での考え方なども加わって「手話」を使う頻度も変わってくるように思います。
また、「ろう教育」については、色々な議論が各地で行われています。
ろう学校における「ろう教育」についてFacebookでも少し自分の意見を述べましたが、これは一般の小、中学校の特殊支援クラス(あるいは難聴クラス)でも同じことが言えると思います。
見逃されやすい教師の採用についても、みんなで考えていく必要があります。
各地で、この件について議論がなされていますが、日本全国で統一していく必要があるのでは?と思います。
私自身、一般の会社員のためろう学校の教員たちが集まって会議などを行っているかどうかはわからないのですが、おそらくあると思います。
さて、ろう学校及び特殊支援クラスの教員について、多くの方が誤解されてるのが、以下のケースの場合です。
教員採用試験は、都道府県によって差異はありますが、必ずしも、特別支援学校勤務において、特別支援学校教諭免許(聴覚障害者だけではなく視覚肢体障害者などの特別支援教育の分野)か 旧聾学校教諭免許が必須ではありません。
特別支援教育諸免許を持つ人を別枠で取らず、小中高の基礎免許を基に一括採用する都道府県がほとんどという現状です。
だから、本来ならばこの特別支援学校教諭免許、旧聾学校教諭免許を所持しておられる教師がろう学校に採用したほうが「ろう教育」としても最適であるわけです。
しかし、この小中高の基礎免許を基に一括採用する制度があるために、どうしても専門的な知識を持っていない先生が採用、転勤で来られるわけです。
ですので、ここが一番のポイントだと思ってください。
ろう学校=教員はみんな手話が出来る、子供たちも手話を覚える
こういう概念を持たれた方も多いかと思います。
しかし、現実はそうでもない学校も少なくないと思います。
先生方の中には、「ろう教育」「手話」とは全く無縁のところから来られる方も多いので先生方々も「ろう学校」でどうしたらよいのか、何をしたらよいのかで戸惑い、悩む方も多いだろうと思います。
ここで、本来ならば先生方の「手話」が、コミュニケーションのズレが全くないレベルが理想的ですが、先生方も初心者だったり、大学などである程度は出来るというレベルが多いかと思います。
長らくろう学校に勤務されておられる先生も中にはおられるもようですが、いつかは、先生も定年を迎えられます。
そうすると、後継ぎといったような感じの先生方がなかなか出てこなくなります。
こういったことが、「ろう教育」においては一番大事な土台だと私は思います。
ところで、※下の色文字をクリックして下さい
文部科学省のHPで特別支援学校教諭の免許資格を取得することのできる大学の一覧
がありますが、そちらを見て頂いたらわかるように、聴覚障害者を指導するための専門的な学部が非常に少ない事もわかります。
そして、小中高の基礎免許を所持する教員が、教員在職年数と単位修得により特別支援学校教諭免許状を取得する場合もあります。
このように、「ろう教育」における必要な専門知識を持った教員を育成する環境なども重要だと思います。
でも、先生方の中には「ろう教育」を真剣に考えてどのようにして子供たちと向き合っていくのか?子供たちに必要なことは何か?を考えておられる方もいっぱいおられます。
ところで、私は「口話史上主義」のろう学校にいたのですが、時々「手話史上主義」だったらどうなっていたのだろう?と考える時があります。
私の考えでは、言葉を知るためには「手話」は欠かせないものだと思っています。
「手話」を通して、「語彙力」が増えていくと思います。
発音の訓練や、聞き取りなどの訓練、文章力なども、もちろん大事ですが、それにかける時間を使うなら、やはり「手話」で「言葉」を知って覚えたほうが早いと思います。
そして、授業を手話で行うことは、大事なポイントなどを抑えることができ、些細なすれ違いがなくなると思います。
手話がないと、やはり音の区別が出来ないので、例えば「まだ」「また」などで混乱すると思います。
「手話」を基本として、「口話」を学ぶというスタンスがあってもいいと思います。
ところで、健聴者の友人が海外に旅行に行って会話が通じなくてつまらなかった!という話をときたまに耳にするのですが、ろうの友人は全く英語が話せないのに、現地の人とすぐ友達になって色々な思い出を作っている人がいます!
この友人は、普段は手話を使っています。
手話が出来るからこそ、音に頼らないから、なんでも身振り手振りでやっていけるのです。
(さすがに、その国によってはタブーされている身振り手振りは覚えていくもようですが)
だから、海外で長く生活している聴覚障害者の人たちもいっぱいいます!
次回は、何を話すか?まだ考えていませんがお楽しみに!
Reem Mohamed
(Special thanks Reem Mohamedさん)
(2016.08.11)
コラムNo5「"落語”と”手話”の話題で思った事」(Reem Mohamedさん)
前回のコラムからかなり間が空いてしまいましたが、世の中は「夏休み」ですね。
お子さんがいらっしゃる方は、特に大変では無いでしょうか?
私は、なんと歩いていただけで「熱中症」になり、高熱が39度も出て大変驚きました!
足がガクガクと震えて寒気がした時点で、我慢せずすぐに病院に行きましょうね!
室内でも、水分補給をこまめにとって下さいね。
さて、先日相模原で大変痛ましい事件が起きましたね。
この事件についてはまた別のところで書きたいと思います。
今日は最近話題になった「落語」と「入店拒否の店」について色々と自分の思いも踏まえて書きたいと思います。
まずは「落語」と「手話」を。「入店拒否の店」については次回に。
「落語」と「手話」 先日、Twitterで落語家の志らく師匠のつぶやきが多くの聴覚障害者や手話通訳者のかたの間で「これは、どういうこと?」「差別ではないか?」と大きな騒ぎになりました。
私は、たまたまこの流れを直接みていたわけではなく、流れを辿って元のツイートをあとで知ったわけですが、確かに文字だけを読んだら「差別的」だと受け止めてもおかしくはない文章だなぁと思いました。
中には、これは聴覚障害者達をバカにしている!と言う人もいましたが、ちょっと深呼吸して冷静になって考えてみよう。
過去にも島根県で開かれた某市主催の敬老会で、独演会をしていた落語家の三笑亭夢之助さんが、舞台に立つ手話通訳者に「気が散る」などと退場を求める発言をして大きな騒ぎになったことがあります。
※この出来事については、色々と調べた所、市側が三笑亭夢之助さんに事前の説明をしていなかったことや、位置について色々と打ち合わせをしていなかったというのも、原因の1つだったもようです。
どうして、志らく師匠がこういうことを言ったのか? 師匠と私達の間で大きなズレ(誤解)があるのではないか?
色々な面から物事を一つ一つ見て考えて私なりにまとめてみました。
あくまでも、私の意見であって、お互いにどうすればよりよい感じになれるかを考慮した上で書いたので、どうかゆっくりとお読み下さい。
確かに、私達 聴覚障害者のほとんどは手話通訳が日常生活において不可欠です。
手話を「言語」とする人達にとっては、「筆談」よりも「手話」の方が会話をする上で楽だし何よりも理解をするのに重要です。
だから、講演においても当然ながら手話通訳が必要です。
字幕も大事ですが、文盲の方には、字幕よりも手話の方がよかったりする。
当然、この「落語」においても「手話通訳」は必要だ、と私達は思ってしまう。
しかし、志らく師匠は、ただの「手話通訳」で終わって欲しくないわけである。
要するに、落語に精通していて自分の落語のスタイルを始めから終わりまでを理解している人で、自分の落語をそのまま「通訳」して欲しいということである。
例えば、自分の経験からでいうと、アラビア語は日本にいる聴覚障害者に比べたら話せて読めて書ける方だけど、翻訳者になりたいとまでは思わない。
言葉を訳するのは、辞書でもあれば出来るけど、かなりの知識とそれに相応わしい日本語を知っていないとそう簡単ではない。
それと似たような感じだと思っていただけるとわかりやすいのかも知れない。
ところで、アメリカやイギリスでは、「舞台手話通訳」が見られます。
この場合は、まさにそれと同じかなと思います。
アメリカやイギリスでは、手話通訳、字幕投影、また見えない方のために音声ガイド、舞台説明会などがあらゆる劇場などで提供されています。
また、これらの 情報が公的な劇場組合や団体によって集約・提供している仕組みがあり、経費についても法的に保障されています。
日本ではまだまだそのような情報保障は広く広まっていません。
ところで、話がそれるが過去に、志らく師匠が手話通訳者の方と衝突されたことがあったことがあったことを伺わせる記事を見つけたので、一部引用転載します。
だから、志らく師匠が手話通訳に対してあまりいい印象を持っていないのか、と納得しました。
(一部、転載引用) 『手話をやる人に「あらかじめ練習をした方がいいですよ」とアドバイスしたが、同時通訳と同じで、「ぶっつけ本番で大丈夫だ」とぬかしやがった。
私の落語はとにかく早い。ぶっつけ本番で同時通訳ができるはずがない。
やれるものならやってみろと、私は一切手を抜かず、いつも通りに落語を語った。
手話の人は、私の落語についてこれず、途中で断念しておりました。』
でも、師匠は手話通訳をつけることに対しては反対ではないと思うのです。
障害者の方も、リアルタイムに一緒になって楽しめるようにしたいと、プロならみんな同じ事を思うはずなのです。
上の記事からも、わかるように、師匠としては落語に精通していて、落語の流れが分かっていて、少なくとも念入りに打ち合わせをして師匠も満足できるような手話通訳をして欲しいのだと思うのです。
しかし、私の方でも、こういうことが可能な手話通訳者を知りません。
もしかしたら、出来る方もおられるかもしれません。
落語協会の方でも、専任の手話通訳者を養成していけば、師匠や私達の理想に沿った手話通訳者が誕生すると思います。
でも、それが現実となるまでにはどのぐらい時間がかかるのか?
志らく師匠の落語を一度でもいいから、見てみたい!と思う人たちにとっては待ちきれないと思います。
だから、今おられる手話通訳者が舞台手話通訳の方みたいに念入りに打ち合わせして少しずつ改善していくしかないと思います。
そして、落語家のみなさんも、営業などでお忙しいとは思いますが、お時間の有るときにお近くの手話教室などで聴覚障害者たちに会って色々と話してみて欲しいなと思います。
そしたら、手話通訳者にどの場面で強く表現して欲しいのかなど色々と要望が出来るのでは無いのでしょうか?
落語家も、手話通訳者もお互いに時間がとれないと難しい問題だとは思いますが、近いうちに全ての落語家に手話通訳がついて、私達聴覚障害者たちも、健常者に混じっていっぱい笑える日がくることを願っています。 どうか、私達 聴覚障害者たちも健常者に混じって普通に笑いたい、そんな気持ちを落語家の皆様にも知って頂きたいと思っています。
Reem Mohamed
「入店拒否の店」と「神対応の店」の話題で思った事 コラムNo6へ
(Special Thanks Reem Mohamedさん)
(2016.08.08)
コラムNo6「入店拒否の店」と「神対応の店」の話題で思った事
(Reem Mohamedさん)
前回の「落語」と「手話」のコラムにつきましては、たくさんのメールをありがとうございました。
落語ファンの方から、手話通訳士、、、ろう者と本当に色々な方からご意見を頂いたので、自分なりにまとめてこちらに掲載出来れば、、、と思っています。
今日は、「入店拒否の店」と「神対応の店」について、ネットで見られた意見などを参考にして、私なりに思った事を書いてみました。
まず、こちらの話題について何のことかわからない!という方もいると思いますので、そこから話を始めたいと思う。
(色つきの文字はリンクと繋がっています。クリックしていただけるとリンクに飛びます。)
事の始まりは、
尼崎市で開かれた近畿ろうあ者体育大会の卓球競技に出場する滋賀県の7人の選手が 2016年5月21日夜に居酒屋を予約しようと5月9日にFAXで申し込んだところ、店長から、
「当店は手話のできるスタッフはいなく、筆談での対応もしておりません」
「通訳のできる方がおられない場合、ご予約をお取りすることができません」
といった、FAXが届き、やむをえず別の店に行ったもの、選手から相談を受けた滋賀県ろうあ協会が、兵庫県聴覚障害者協会に連絡。
尼崎ろうあ協会の理事らが確認のため同店を訪問したという風になっています。
確かに、「障害者差別解消法」が成立し、実施されてもなお、まだ手話が出来るお店は少なくない。
お店に限らず、駅でも銀行でも100%当たり前に手話が出来る人はまだいないところが多い。
上の店は、チェーン店でその本部は障害者差別解消法の制定以前よりこうした問題については注意を払っていたと、話しているもようだが、なぜ本部の考えが伝わらなかったのだろうか?
次に、「店が悪いとは思えない」とネット上で色々と炎上したもよう。
聴覚障害者が居酒屋の予約を断られた ろうあ団体抗議に「店が悪いとは思えない」の声が
なぜ、「店が悪いとは思えない」という考えが出てくるのだろうか?
本当に聴覚障害者の方が傲慢なのか?
店の人は、拒否して正解だったのか???
もし、肢体が不自由な人や目が見えない人が予約したときにもやはり同じように断ったのだろうか?
聞こえない=話せないという概念は、もしかすると聴覚障害者に会ったことが無い人は誰でも持っているのかも知れない。
手話が出来ないから話が通じないかも!!どうしよう!!とパニックになったのかも知れない。
しかし、
「筆談での対応もしておりません」
ということは、どういうことなのだろうか???
そのお店がどのような感じの店なのかは分からないけど、あからさまにそんな風に言われると、筆談するのも面倒だという印象を強く感じる。
大体、飲食店にはメニューが置かれているはずだから、メニューを指さしすればいいことだし、そんなに始めから終わりまで筆談するわけでもないのに?と思う。
健常者でも、よっぽとの小さな店か対面式の店でなければ、終始喋っていないと思う。
ところで、差別解消法成立前でも、「障害者手帳を持っている人は入店お断り」という出来事があったもようです。
2012年、東京地裁において、
「障害を理由とした入店拒否することは、民法90条の公序良俗違反にあたる」
といった判決が下されています。
詳細は下のリンクをクリック下さい。
民法90条は、「公の秩序又は善良の風俗に反する」内容の法律行為は無効であると定める(同条にいう「目的」は、「内容」という意味である)。
公の秩序と善良の風俗は、区別されずに一括して扱われる。 二つあわせて公序良俗と呼ぶ。 民法90条は、公序良俗違反、すなわち、反社会的な法律行為を無効とするが、具体的にどのような行為が公序良俗違反に該当するのかは解釈に任されている。
だから、これは法令違反であるが、本部の指導不足や店側の思いやりのなさが一番の原因だと思う。
でも、店側も謝罪したということなので、これからは聴覚障害者に限らず誰でも気持ちよくいける店へと生まれ変わることを願っています。
「神対応の店」とは?
こちらのブログの管理人の「ねこ」さんが経験された素晴らしいお話です。
※リンクを張りますので、お時間の有るときにどうぞお読み下さい。
聴覚障害の方が入店拒否されるという残念な出来事がありましたが、こちらの居酒屋の「おもてなし」は大変素晴らしいものでした。皆さんにも感動を分かち合いたいです。
「神対応の店」と私はタイトルにもそう書いたのですが、誤解を招きそうなので説明したいと思う。
先に「入店拒否の店」の話題があったために、そう書いていますが、こういう事は本当は「神対応」ではなく当たり前のことである、ということですね。
本当に、こういうことがどこでも当たり前な社会になって欲しいなと思っています。
最初に書きましたが、聴覚障害者たちを見たことはあっても、接したことが無い人は聴覚障害者でも色々なタイプの人がいるということも知らないと思います。
聞こえないから、話せない。手話で話す。言葉が通じない。などなど。。。
そうなると、「手話わからないけど話出来るのかな?」とか「どうすればいいの???」とかパニックになってもおかしくはないかなと思う。
残念ながら、そういう人は1人はいると思う。
しかし、手話は福祉ではなく、「言語」であるという条例を鳥取県の平井知事が県をあげて最初に声を出したのを皮切りに全国でもその動きが広まってきてるので、少しずつそれぞれの都道府県でも聴覚障害者についての対応などが昔に比べて大きく変わってきていると思います。
しかし、それでもまだまだ100%当たり前に至るところに手話が出来る人はいません。
手話が出来なくても、筆談やUDトークを使った音声認識や文字の指さしなど、、、、工夫すれば出来る情報保障はたくさんあります。
聴者の方も、今は聞こえていても病気や事故、加齢ともに聞こえなくなる可能性はあります。
私は、聴覚障害者をはじめ、様々な身体障害者たちは、聴者の一歩先を歩いていると思っています。
かといって、障害があるなしに関係なく出来ることでも、障害があるからそっちがやるべきだろ!と言う人をみるとそうじゃないのに。。と思うこともあります。
だから、みんなで「思いやり」と「共有」の心を常に持ってお互いに歩み寄っていけたらいいなと思います。
「ねこ」さんが行かれた「酒場やっしょまかしょ」の店長、飯鉢隆弘さんに朝日新聞がインタビューした記事がありましたので、そちらも載せます。
上の方のように、どうしたらいいのかわからないことをハッキリと聞いた上で柔軟に対応してくれる方が、これからももっともっと増えてくることを願っています!
ところで、私の経験ですが、いつもは行かないのですが、その日はものすごく暑くて冷たい物が飲みたいというのもあり、スタバに寄ったことがあります。
暑さでボーッとしていたせいか、間違ってお店の人に手話で「この飲み物を下さい」って言ってしまったのです。
※私は知らない人には手話で話しないです。
そしたら、スタッフのお姉さんが流暢な手話で「はい、かしこまりました。サイズはどちらにしますか?」と話されるではないですか!
すごく驚いて、「手話が出来るんですか?」ってつい質問を。
すると、そのお姉さんはろうの弟さんと普段から手話でコミュニケーションを取ってるということ。
手話で注文するといつもよりスムーズに早く出来て楽だし、何よりも嬉しかった!
だって、まさか手話が出来るスタッフがいるとは思わなかったし、もっともっと、手話が出来る人は「手話出来ます」っていうピンとかを止めてくれたらいいのにな、、。なんて思ってしまった。
そうすれば、聴覚障害者たちも、「あ!このスタッフさん手話が出来るんだ!」って安心して話せると思う。
さて、長くなったが聴覚障害者たちにどう対応すればいいのかわからないという方は、お近くの社会福祉協議会や市役所や手話サークルに行かれてみるのもまた一つの方法だと思います!
また、当事者に直接恥ずかしがらずに尋ねてみてください。 きっと、丁寧に答えてくれると思います。
Reem Mohamed
「聴覚障害者」たちが困っている事、「手話」は何か、などアンケートの結果も合わせて私個人の考えを書きましたので、どうぞゆっくりとお読み下さい。コラムNo7へ
(Special Thanks Reem Mohamedさん)