インフォメーション
当HPでは手話や聴覚障害への理解のためコラムを充実させていこうと思っています。コラム1は、障害者差別解消法が施行されたのを受けて書いた4月の記事を改めて追加校正しなおしてみました。
コラム1-障害者差別解消法から思うこと/手話そのものが差別の対象だった!?
平成28年4月1日より「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が施行されました。「障害者差別解消法」とも略されていますが、障害を理由とする差別を解消して、障害のある人も平等に生活できる社会づくりを推進するための法律です。
(目的)
行政機関等及び事業者における「障害を理由とする差別を解消するための措置等を定める」としています。
秋田県で作製しているパンフレットによれば差別となる具体例として「災害避難所で聴覚障害があることを伝えられたが、必要な情報を音声のみで提供した。」が挙げられています。また事業者の望ましい取り組みの例示として「聴覚障がいのある人に、ホテルや施設の受付などで、筆談や手話など音声以外の方法でコミュニケーションをとる。」とあります。
取り組みとしてならば「筆談や手話など音声以外の方法でコミュニケーションをとる。」でいいのかもしれません。
でもあえて「なぜ手話は言語、にこだわるのか?」という視点で考えてみたいと思います。
全国で続々と条例が制定されていますが、手話を普及したいなら「手話普及条例」でもいいはずなのになぜ「手話言語条例」なのかということです。
それは「手話そのものが差別の対象」だったからです。
「手話をしているとジロジロ見られる。」
手話をしていればこんな体験はほとんど誰もがしていることでしょう。また昔は「手話は手真似」と教えられ、口話教育の妨げになるとして聾学校では手話が禁止されていた歴史があります。
昨年、元ろうあ者相談員の方の講演を拝聴しましたが、幼いころの体験談として「友達と手話をしていても、人がくれば隠していた。」とお話しされていました。手話を人前で堂々とできる時代ではなかったのです。
しかしそもそも「手話は独自の言語体系を有する言語」であり、言語学者で「手話は手真似です。」と言う人はいないでしょう。2006年に国際連合総会で採択された障害者の権利に関する条約(以下、障害者権利条約という)においても、「言語には 手話その他の非音声言語を含むこと」と明記されています。
言語学では「あらゆる言語に優劣が存在しない」ことが前提になっています。
そのため、世界の言語はすべて同等に扱われるのです。
つまり、日本語であれ英語であれ手話であれ、言語としての優劣はなく同等なのです。
それぞれの言語に優劣がなく同等なのですから、それを使っている者にも優劣はない、つまり「差別の対象にはなりえない」ということになります。私たちは何語であれ、使っている言語によってその者に対し優劣をつけ差別をすることは出来ないのです。
ところで、日本の公用語は何語でしょうか?
実は「日本語を公用語とする。」という法律の条文はなく、裁判所法「第七十四条(裁判所の用語) 裁判所では、日本語を用いる。」とあるのみです。
国民のほとんどが一つの言語(日本語)だとわざわざ何語が公用語なのかを法律で定める必要がないのでしょう。
「社会に出たら手話は通じない・・・」
ろう者(手話利用者)は圧倒的に少数であるがゆえに様々な不便と偏見の対象となっていました。
ですから手話言語法で求めるものは「手話を日本語と同等な言語として認知し」であり、手話言語条例では「手話を言語」として普及する必要性を謳っているのです。改正された障害者基本法には「言語に手話を含む」と明記され、さらに2014年、日本は障害者権利条約を批准しました。
世界にはニュージランドをはじめとして手話を公用語にしている国もあります。
手話のさらなる地位向上がろう者(手話利用者)への差別への解消につながることになるのです。
聴覚障害に限らずですが、差別や偏見は「正しく理解をしていない、正当な評価をしていない」ことから生まれます。
手話秋田普及センターでは「手話が音声言語と対等な言語であること」を広く知っていただけるよう、秋田から発信していきたいと思っています。
(2016/10/14)
(秋田市の秋の夕暮れです。 2016/9/20撮影)