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2016-12-30 03:40:00

 

(2016.08.11)

コラムNo5「"落語”と”手話”の話題で思った事」(Reem Mohamedさん)

 

 

前回のコラムからかなり間が空いてしまいましたが、世の中は「夏休み」ですね。

お子さんがいらっしゃる方は、特に大変では無いでしょうか?

 

私は、なんと歩いていただけで「熱中症」になり、高熱が39度も出て大変驚きました!

足がガクガクと震えて寒気がした時点で、我慢せずすぐに病院に行きましょうね!

室内でも、水分補給をこまめにとって下さいね。

 

さて、先日相模原で大変痛ましい事件が起きましたね。

この事件についてはまた別のところで書きたいと思います。

 

今日は最近話題になった「落語」と「入店拒否の店」について色々と自分の思いも踏まえて書きたいと思います。

まずは「落語」と「手話」を。「入店拒否の店」については次回に。

 

「落語」と「手話」 先日、Twitterで落語家の志らく師匠のつぶやきが多くの聴覚障害者や手話通訳者のかたの間で「これは、どういうこと?」「差別ではないか?」と大きな騒ぎになりました。

私は、たまたまこの流れを直接みていたわけではなく、流れを辿って元のツイートをあとで知ったわけですが、確かに文字だけを読んだら「差別的」だと受け止めてもおかしくはない文章だなぁと思いました。

中には、これは聴覚障害者達をバカにしている!と言う人もいましたが、ちょっと深呼吸して冷静になって考えてみよう。

 

過去にも島根県で開かれた某市主催の敬老会で、独演会をしていた落語家の三笑亭夢之助さんが、舞台に立つ手話通訳者に「気が散る」などと退場を求める発言をして大きな騒ぎになったことがあります。

※この出来事については、色々と調べた所、市側が三笑亭夢之助さんに事前の説明をしていなかったことや、位置について色々と打ち合わせをしていなかったというのも、原因の1つだったもようです。

 

どうして、志らく師匠がこういうことを言ったのか? 師匠と私達の間で大きなズレ(誤解)があるのではないか?

色々な面から物事を一つ一つ見て考えて私なりにまとめてみました。

あくまでも、私の意見であって、お互いにどうすればよりよい感じになれるかを考慮した上で書いたので、どうかゆっくりとお読み下さい。

 

確かに、私達 聴覚障害者のほとんどは手話通訳が日常生活において不可欠です。

手話を「言語」とする人達にとっては、「筆談」よりも「手話」の方が会話をする上で楽だし何よりも理解をするのに重要です。

だから、講演においても当然ながら手話通訳が必要です。

字幕も大事ですが、文盲の方には、字幕よりも手話の方がよかったりする。

当然、この「落語」においても「手話通訳」は必要だ、と私達は思ってしまう。

 

しかし、志らく師匠は、ただの「手話通訳」で終わって欲しくないわけである。

要するに、落語に精通していて自分の落語のスタイルを始めから終わりまでを理解している人で、自分の落語をそのまま「通訳」して欲しいということである。

 

例えば、自分の経験からでいうと、アラビア語は日本にいる聴覚障害者に比べたら話せて読めて書ける方だけど、翻訳者になりたいとまでは思わない。

言葉を訳するのは、辞書でもあれば出来るけど、かなりの知識とそれに相応わしい日本語を知っていないとそう簡単ではない。

それと似たような感じだと思っていただけるとわかりやすいのかも知れない。

 

ところで、アメリカやイギリスでは、「舞台手話通訳」が見られます。

この場合は、まさにそれと同じかなと思います。 

アメリカやイギリスでは、手話通訳、字幕投影、また見えない方のために音声ガイド、舞台説明会などがあらゆる劇場などで提供されています。

また、これらの 情報が公的な劇場組合や団体によって集約・提供している仕組みがあり、経費についても法的に保障されています。

日本ではまだまだそのような情報保障は広く広まっていません。

 

ところで、話がそれるが過去に、志らく師匠が手話通訳者の方と衝突されたことがあったことがあったことを伺わせる記事を見つけたので、一部引用転載します。

だから、志らく師匠が手話通訳に対してあまりいい印象を持っていないのか、と納得しました。

(一部、転載引用) 『手話をやる人に「あらかじめ練習をした方がいいですよ」とアドバイスしたが、同時通訳と同じで、「ぶっつけ本番で大丈夫だ」とぬかしやがった。

私の落語はとにかく早い。ぶっつけ本番で同時通訳ができるはずがない。

やれるものならやってみろと、私は一切手を抜かず、いつも通りに落語を語った。

手話の人は、私の落語についてこれず、途中で断念しておりました。』

 

でも、師匠は手話通訳をつけることに対しては反対ではないと思うのです。

障害者の方も、リアルタイムに一緒になって楽しめるようにしたいと、プロならみんな同じ事を思うはずなのです。

上の記事からも、わかるように、師匠としては落語に精通していて、落語の流れが分かっていて、少なくとも念入りに打ち合わせをして師匠も満足できるような手話通訳をして欲しいのだと思うのです。

 

しかし、私の方でも、こういうことが可能な手話通訳者を知りません。

もしかしたら、出来る方もおられるかもしれません。

落語協会の方でも、専任の手話通訳者を養成していけば、師匠や私達の理想に沿った手話通訳者が誕生すると思います。

 

でも、それが現実となるまでにはどのぐらい時間がかかるのか?

志らく師匠の落語を一度でもいいから、見てみたい!と思う人たちにとっては待ちきれないと思います。

だから、今おられる手話通訳者が舞台手話通訳の方みたいに念入りに打ち合わせして少しずつ改善していくしかないと思います。

 

そして、落語家のみなさんも、営業などでお忙しいとは思いますが、お時間の有るときにお近くの手話教室などで聴覚障害者たちに会って色々と話してみて欲しいなと思います。

そしたら、手話通訳者にどの場面で強く表現して欲しいのかなど色々と要望が出来るのでは無いのでしょうか?

 

落語家も、手話通訳者もお互いに時間がとれないと難しい問題だとは思いますが、近いうちに全ての落語家に手話通訳がついて、私達聴覚障害者たちも、健常者に混じっていっぱい笑える日がくることを願っています。 どうか、私達 聴覚障害者たちも健常者に混じって普通に笑いたい、そんな気持ちを落語家の皆様にも知って頂きたいと思っています。

 

Reem Mohamed

 

 

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(Special Thanks Reem Mohamedさん)

 

 

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