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2018-12-29 09:00:00

3月11日、あの震災から7年がたちました。

 

被災障害当事者でもある松﨑丈先生(宮城教育大学准教授)のFBでの投稿にとても学ばせていただきました。

 

当センターも今後とも出来ることを積み上げていきたいと思っています。松﨑先生から許可をいただきましたので、FBから転載してご紹介します。

  

 

松崎丈先生(宮城教育大学准教授)のFBより.jpg

  

東日本大震災7年目を迎えて東日本大震災が発生してから被災障害当事者としてやるべきことは何かを考えながらできることを実践してきました。

 

聴覚障害当事者支援活動体制の構築、ソフトバンクをはじめとする様々な企業・機関の支援でICTを活用した取組、防災教育教材の開発、国際連合会議での提言、熊本震災時の聴覚障害当事者支援マネジメントの後方支援、各種防災セミナーでの講演や防災教育の実施、聴覚障害当事者組織を対象にした災害時対応マニュアルの開発支援など。

 

それでも一連の災害・防災のシンポジウムやセミナー等の内容をみてみると、「聴覚障害=情報アクセスの問題」とみなされることが多いです。しかもその情報とは「音声日本語/書記日本語」を指す傾向があります。

 

おそらく「聴覚障害当事者」のことを、日本語ができ、その音声情報が聴き取りにくく、そのために文字情報が必要な人、というふうにみているのでしょう。

 

日本手話を母語とするろう者、日本手話や日本語の読み書きを充分に身につけてはいない聴覚障害のある子どもや成人、個々のわかりかたに応じたかたちの情報(絵、身振り、ピクトグラム、独自の手話)が必要なろう重複障害や盲ろうの子どもや成人。そしてコーダ、きょうだい、デフファミリーなど様々な家族構成で生きる人。そしてLGBTのろう者・難聴者、聴覚障害があり日本語・日本手話以外の言語を用いる外国人(子どもや成人)のように多様なマイノリティを生きている当事者。

 

マジョリティ社会はそうした人々の存在-“多様性”が見えていないのです。

 

そして、「聴覚障害=人とのつながりの問題」とみなされることはあまりありません。

 

マジョリティからの抑圧や支援不足で「聴者は怖い」と捉えてそこから回復できずにいたり、自分と異なる言語・手段を用いる人々との係わり合いの仕方がわからず敬遠したり。情報面だけでなく、社会的・心理的問題も抱えており、緊急事態になっても身近にいる「聴者」に状況を尋ねることもできないなどの事実があります。

 

残念ながらマジョリティ社会ではこうした“多層性”の問題があまり認知されていません。

 

そして当事者や当事者コミュニティのなかでもそうした問題はなるべく触れないでおこうという「力」が働いています。平時における人とのつながりの問題は、災害時にいかに自助・共助できるかということに深く関わっているのです。

 

「災害」について考える時、自分のことも含めてどのような人がいて、どのように生きているのだろうか、を考えることが重要だと思います。

 

このことを発信したり話し合ったりして「共有」し、「共生」するためのアイデアや工夫を一緒に考える。個人、家族、学校、企業、当事者コミュニティ、自治体など様々なレベルでできることから実践していく。

 

「人」を表面的に括ってみることをやめること。“多様性”と“多層性”を前提に個々のことを理解することが「共生」の出発点になること。これを私たちが実践することで、私たちが暮らしているコミュニティや社会に「共生」に向けて共有できる思想・文化を生み出すことにつながると考えています。

 

これからも、このことを念頭におきながら「できること」を1つひとつしっかりと実践していきます。

 

 

3月11日 震災に思う.jpg

(Special thanks 松﨑丈先生)